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バドリオ内閣

1943年7月、イタリアでムッソリーニ政権を倒して成立し、連合国軍に降伏。同時にドイツに宣戦布告したが、ローマを放棄して国民の信頼を裏切る。44年6月、連合軍がローマを解放したときに総辞職。

ムッソリーニと対立

 ピエトロ=バドリオ(1871~1956、バドリョとも表記)は軍人としてイタリア=トルコ戦争と第一次世界大戦で活躍し、3度、イタリア軍参謀総長を務めた。1926年には元帥としてエチオピア遠征軍を指揮した。ムッソリーニ政権下のイタリアで、1940年に総司令官となり第二次世界大戦の指導に当たったが、ムッソリーニと対立し辞任した。
 1943年7月、連合軍のシチリア島上陸を機に、第二次世界大戦の敗戦が明確になる中、43年7月、バドリオは戦争を終結させるべくクーデタを断行、イタリア国王と軍の支持を受けてムッソリーニを幽閉し、バドリオを首班とする内閣を成立させた。

連合軍に降伏、ドイツに宣戦布告

 ムッソリーニのファシスト政権を倒したバドリオ内閣は、1943年9月8日、連合軍に対して無条件降伏を受けいれ(イタリアの降伏)、休戦協定を締結するとともに、一方でドイツに対して宣戦を布告した。

国王と共にローマ脱出

 ドイツ軍はただちにイタリア軍の武装解除に乗りだし、ローマを占領、国王とバドリオ政権はローマを脱出した。イタリアはドイツ軍の占領に対するパルチザンによるゲリラ的抵抗を続ける内、10月には連合国軍(主体はアメリカ軍)がナポリに上陸、北部のドイツ軍を次第に圧迫していった。1944年6月、連合軍がローマをドイツ軍から解放すると、ファシズムと戦ったレジスタンスの指導者が一堂に会し、バドリオ内閣に総辞職を迫った。バドリオはドイツ軍がローマを占領すると国王とともに脱出して国民の支持を失っていたので、辞職を受け入れ、事実上のクーデタの結果、ポノーミを首班とする新たな連立内閣が成立した。
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