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パーセンテージ協定

第二次世界大戦末期の1944年、イギリスのチャーチルとソ連のスターリンの間で結ばれた、バルカンでの勢力分割協定。

 第二次世界大戦連合国の戦後処理構想の一つであるが、アメリカをヌキにして、イギリスとソ連の間で交渉された。1944年10月、イギリス首相チャーチルスターリンはモスクワで会談し、第二次世界大戦終結後のイギリスとソ連のバルカン半島における勢力分割について話し合った。東欧およびバルカンでのドイツ軍の敗北に伴い、ソ連がこの地域で勢力を強めることを恐れたチャーチルが、戦後のバルカンとギリシアにおけるイギリスとソ連による分割を、次のようなパーセンテージを提示して提案した。
ルーマニア:ソ連が90%、イギリスが10%、ギリシア:イギリスが90%、ソ連が10%、ユーゴスラヴィアハンガリーは英ソそれぞれ50%ずつ、ブルガリアはソ連が75%、その他の国が25%。この協定はパーセンテージ協定(百分率協定)といわれ、アメリカを除いてバルカンの分割を策する英ソ両国の思惑が一致して成立した。
 第二次世界大戦においても、相変わらず、当事者には知らされずに、大国間でことが決せられたのであり、戦後のバルカン問題の混迷の出発点となった。

Episode バルカンの運命をもてあそぶ二人

 チャーチルは自著『第二次世界大戦』で正直にこのときのいきさつを書いている。チャーチルは発言がロシア語に訳され、スターリンがそれを聞いている間に、上記のパーセンテージをメモにして彼の前へ押しやった。
(引用)彼は青鉛筆を取り出して大きな印をつけ、われわれの方へ紙を戻した。これを紙に書くほどの時間もかからずに、すべてが決まったのである。・・・この後、長い沈黙が続いた。鉛筆で書かれた紙片は机の中央に置かれたままだった。ついに私が口を開いた。”何百万の人々の運命に関する問題を、こんな無造作なやり方で処理してしまったようにみえると、かなり冷笑的に思われはしないだろうか? この紙は焼いてしまいましょう”、”いや、取っておきなさい”とスターリンが言った。<チャーチル『第二次世界大戦』4 p.294 佐藤亮一訳 河出文庫>
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チャーチル/佐藤亮一訳
『第二次世界大戦』4
河出文庫