テヘラン会談
第二次会大戦中の1943年末、カイロ会談翌日に開催された連合国首脳会談。アメリカ(フランクリン=ローズヴェルト)・イギリス(チャーチル)・ソ連(スターリン)三国首脳の初会談。第二戦線問題・ポーランド問題などを協議した。スターリンはドイツ降伏後の対日参戦を約束した。
アメリカ・イギリス・ソ連の三首脳会談
Source: Wikimedia Commons (Public Domain)
スターリン、F=ローズヴェルト、チャーチル。テヘランのソ連大使館。
三首脳のうちのF=ローズヴェルトとチャーチルは、前日の11月27日までエジプトのカイロで蔣介石を加えたカイロ会談で主として対日戦争の戦後処理について協議していた。そこには、ソ連は日ソ中立条約を締結して日本とは戦争状態にはなかったので参加せず、議題をヨーロッパ戦線に変えるため、蔣介石は帰国し、翌日、ソ連に近いテヘランに場所を変えて開催したのがテヘラン会談であった。 → ヤルタ会談 ポツダム会談
参考 何故テヘランか
最初の米英ソ三国首脳会談がなぜイランの首都テヘランだったか。第二次世界大戦が始まった段階ではパフレヴィー朝の国王レザー=シャー(レザー=ハーン)は親独政策を採っていた。イランにおいてはロシア・イギリスは対立関係にあったが、1941年6月、独ソ戦が始まるとソ連は連合国の一員となり、一転してイギリス・ソ連も協力関係となった。独ソ戦はソ連にとって危機的状況をもたらし、連合国はソ連支援が大きな課題となった。北極海はドイツ海軍のUボートに制海権を握られ、アジア側からのシベリア経由では遠すぎる。そこで選ばれたのがイランルートだった。1941年8月、イギリス軍は南から、ソ連軍が北からイランに侵攻したことでイランを降伏させ、レザー=シャーは退位し、イランはイギリスとソ連によって南北分断支配下に置かれることになった。イランを抑えた連合国側は、ソ連への軍事物資を輸送するために、ペルシア湾とカスピ海を結び、イランを南北に縦断するトランスイラン鉄道を最大限利用した。トランスイラン鉄道は1927年から30年代にかけて、レザー=シャーがイランの国力を上げて建設した鉄道だった。トランスイラン鉄道の中間にあるのがイランの首都テヘランであり、スターリンが国外の国際会議に出席するには最も適した所だった。連合国側のソ連支援を象徴するとしたテヘランだった。トランスイラン鉄道は、山脈と渓谷、砂漠を縦断する難工事の末に出来上がった鉄道であったが、レザー=シャーの功績は忘れ去られ、第二次世界大戦で連合国の一員だったソ連を支える動脈として脚光を浴びた。現在、トランスイラン鉄道は世界遺産に登録されている。
米英ソ三首脳の合意点
三国の大戦遂行の決意、イランの独立と領土保全などどともに、いわゆる第二戦線問題とポーランド問題が討議された。第2戦問題ではほぼ合意ができ、連合軍の西ヨーロッパでの反撃開始が約束され、それに応じてスターリンも対日参戦を約束した。ポーランド問題ではチャーチルは積極的な打開を図ったが、ポーランド亡命政府の反対を受けて問題を持ち越した。また国際的平和機関の樹立については、10月のモスクワ宣言を受け、ローズヴェルトが米英ソ中の4大国による紛争解決のための調整機関をつくるという「四人の警察官」構想を提案し了承された。これは後の国際連合樹立に繋がることとなる。第二戦線問題
第二戦線問題とは、独ソ戦開始以来、ドイツとの長引く戦闘で疲弊していたソ連のスターリンが、西側の北フランス戦線で連合国側に反攻を実施することを要請したのに対し、チャーチルは北フランス上陸はすぐには無理であるとして反対し、かわってバルカン方面で反撃に出ることを主張し、戦略的な食い違いが生じたことを言う。チャーチルがバルカン方面での反撃にこだわったのは、ソ連のバルカン方面への進出を警戒したからである。しかし、ローズヴェルトはソ連を対日戦に引き込みたかったのでスターリンの要請に理解を示し、1944年5月に北フランスでの上陸作戦を実施することを約束した。それにたいしてスターリンは、ドイツ降伏後の対日参戦をローズヴェルトに約束した。ポーランド問題
第二次世界大戦末期に起こった、大戦後のポーランド国境をどこに置くかをめぐる、主としてイギリス(チャーチル)とソ連(スターリン)の対立。第二戦線問題と共に連合国内部の深刻な対立案件として話し合いが続けられた。1943年のテヘラン会談では、チャーチルはソ連赤軍によってポーランドが解放されると、東欧全体へのソ連の影響力が増すことをおそれ、その前にポーランド国境を確定することが有利と考え、西側をオーデル=ナイセ線、東側をカーゾン線(ヴェルサイユ条約でのポーランド・ロシアの国境線)で妥協しようとした。しかしロンドンのポーランド亡命政府(ミコワイチク首相)は国境をさらに東寄りにすることを譲らず、問題を持ち越した。→ カチンの森事件 ワルシャワ蜂起 ヤルタ会談