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大韓民国/韓国(1) 国家分断から朝鮮戦争へ

1948年、朝鮮南部に成立した親米的な政権。初代大統領は李承晩。1950年~53年、北朝鮮との朝鮮戦争を戦った。

 第二次世界大戦後、東西冷戦の米ソ対立が持ち込まれ、朝鮮の分断が現実のものとなり、1948年8月に、朝鮮半島のほぼ北緯38度線以南に成立した国家が大韓民国で、通称が韓国。首都はソウル。
 第二次世界大戦終結に伴い日本軍が撤退した後、この朝鮮半島南部にはただちにアメリカ軍が進駐し、北にはソ連軍が駐留してにらみ合う形となった。アメリカは国連の支持のもと、南で総選挙を強行し、議会を成立させ、初代大統領にアメリカ亡命から帰国した大韓民国臨時政府李承晩を選出して国家の形態を整えた。朝鮮民衆は分裂選挙に反対して蜂起したが、済州島四・三事件にみられるように米軍の加わった弾圧によって抑えられた。北は対抗してソ連の支援の下で朝鮮民主主義人民共和国を建国、ここに朝鮮は南北に分断されることになった。
 → (2)開発独裁と経済成長  (3)民主化の実現と経済危機

朝鮮戦争

 1950年についに朝鮮戦争が勃発、一時は北朝鮮軍が釜山にせまり、大韓民国は危機に陥ったが、マッカーサー率いる国連軍(実質はアメリカ軍)が仁川に上陸して形勢を逆転させた。53年に休戦協定が成立したが、軍事境界線をはさんで南北の対立はその後も続いている。

独裁政治と民主化の戦い

 朝鮮戦争後の大韓民国は李承晩の独裁的な政治に対する民主化の動きが強まり、1960年には学生を中心とした四月革命によって李承晩政権が倒れた。しかし、翌61年には軍人の朴正煕による軍部クーデターがおき、軍政下に置かれる。北朝鮮との対峙という厳しい状況の中で、朴政権は軍事独裁政治のもとで経済開発を優先するという開発独裁を推し進め、民主化を弾圧しながら、一定の経済成長を実現させた。

韓国(2) 開発独裁と経済成長

1960年代には朴正煕の独裁政治の元で、経済開発が進められ、1970年代には急速な工業化を遂げた。その成長は韓国をNIEsの一角に押し上げたが、それによって成長した中間層は次第に独裁政治に対する不満を強め、79年の朴大統領射殺事件を機に民主化闘争が盛り上がったが、翌年成立した全斗煥政権によって弾圧された。

 大韓民国は、1961年からの朴正煕政権の「維新体制」と称する開発独裁のもとにあったが、1965年には日韓基本条約を日本と締結してその資金援助を得、さらにベトナム戦争の特需を背景に経済を成長させた。
韓国の国旗 太極旗といわれる大韓民国の国旗は、中央の円が太極で赤が陽、青が陰を表す。四隅の記号は易学で東西南北の宇宙の構成要素に対応している。

朴正煕の維新体制

 1970年に入り、ベトナム戦争の行き詰まりなどの中で韓国でも民主化運動が活発となり、71年の大統領選挙では民主運動家の金大中が善戦し、朴正煕はわずか95万票で三選された。朴正煕は民主化運動を抑えるため「北の脅威」のもとで「平和統一」を達成するには国民総和が必要であるとして、1972年には戒厳令を布告し、国会を解散、政党・政治活動の停止、大学の封鎖を強行した上で国民投票を実施して憲法を改正、大統領を国民会議による間接選挙に改めるという「維新体制」を作り上げた。また1973年には金大中を東京で拉致してその政治活動を妨害した(金大中事件)。以下、1970年代から現在までの記述は主として<文京洙『韓国現代史』2005 岩波新書>による。

漢江の奇跡

 1970年代、韓国は朴正煕の開発独裁のもとで工業化、開発を推し進めた。続く全斗煥軍事政権も含め、70~80年代の経済急成長は「漢江の奇跡」といわれた(漢江=ハンガンとはソウルの中心部を流れる川)。1973年、朴正煕は「重化学工業化開発政策宣言」を発表し、鉄鋼・化学・非鉄金属・機械・造船・電子工業など重点開発部門を設けて、財政と金融面で優遇した。その結果、浦項(ポハン)総合製鉄所、大韓造船所、蔚山(ウルサン)石油化学コンビナートなどが拡張され、起亜産業、現代自動車による国民車生産などに象徴される高度経済成長を遂げた。1977年には悲願の輸出100億ドルを達成し、建国以来初めて国際収支の黒字に転じた。1978年にはOECDは韓国を新興工業経済地域(NIEs)の一つと位置づけた(当初は新興工業諸国=NICsと言われたが、80年代にNIEsと言われるようになる)。その背景は、石油ショックによる工業先進国が停滞する間に、アラブなど第三世界への輸出が急増したことが挙げられる。

朴政権の終わりと光州事件

 しかし、1970年代後半になると、経済発展によって成長した中間市民層が、政治的自由を要求するようになり、またアメリカにも人権外交を標榜するカーター大統領が韓国批判を強め、朴正煕政権は苦境に立たされるようになった。そのような中で政権内部に矛盾が強まり、1979年に朴正煕射殺事件(中央情報部部長金載圭に射殺される)という突発的事件が起き、朴政権は一挙に崩れ、韓国社会には一気に民主化の動きが高まった(ソウルの春)。しかし、翌1980年5月、軍を掌握した全斗煥は、金大中ら民主化運動家を逮捕して、政党活動の停止・言論、出版、法曹などの事前検閲・大学の休校などの措置をとり実権を握った。これが五・一七クーデターである。南部の光州では大学生・市民による大規模なデモを軍が鎮圧して多くの犠牲が出るという光州事件が起きた。

全斗煥の政治

 1980年5月の光州事件を鎮圧した全斗煥による軍政(新軍部政権)が開始され、新憲法の下で間接選挙による大統領選挙の結果、全斗煥が大統領に選出された。全斗煥政権は民主化運動を厳しく取り締まり、金大中は亡命、金泳三は自宅軟禁となり、学生運動に対しては学習塾の廃止、入試の廃止などとともに卒業定員制を設けて学生を大学に封じ込めておくなどの措置がとられた。その他、労働運動、言論制限など、韓国はソウルの春が一挙に終わって冬の時代に突入した。またこの時期はアメリカ大統領にレーガンが登場し、米ソの新冷戦が始まり、それが朝鮮半島情勢にも影響して、1983年には北朝鮮によるラングーン事件、87年には大韓航空機事件などが起こり、緊張が高まった。

韓国(3) 民主化の実現と経済危機

1987年の民主化運動により憲法が改正され国民直接選挙で大統領選挙が始まる。盧泰愚を経90年代には金泳三・金大中の非軍人大統領が続く。この間、オリンピック開催、国連加盟が実現したが、97年にはアジア経済危機が起こり、経済成長がとまる。

改憲と民主化

 1987年、ソウルや光州などの学生・市民が大統領直接選挙を求める民衆デモに対して全斗煥政権が改憲を拒否して運動の弾圧をはかると、全土にデモがさらに激しくなり、ついに6月29日、全政権も改憲して大統領直接選挙、言論の自由の保障、反体制運動家の釈放などを約束した(六月民主抗争)。これによって憲法が改正され(第六共和国憲法)、年末に国民の直接選挙による大統領選挙が行われた。改革派は金大中と金泳三の二人が立ち一本化できなかったため、軍人出身で全政権の継承を唱えた盧泰愚が当選した。

オリンピック開催と国連加盟

 経済成長は続き、その象徴として1988年にはソウル・オリンピックを開催した。また1989年の冷戦終結という大きなうねりの中で、1991年には南北両国の同時での国際連合への加盟が実現した。
 次いで1992年の大統領選挙で金泳三、97年には金大中という長い間民主化運動を進めていた非軍人の人物があいついで当選した。韓国では1961年以来の軍事政権が終わり、約30年ぶりに非軍事政権=文民政権が成立したこととなる。この間、95年には前大統領の盧泰愚や全斗煥が在任中の不正蓄財・人権抑圧などで告発され、有罪とされ、軍人政治家の不正が次々と暴かれていった。

経済危機と金大中政権の登場

 金泳三政権は、90年代中期の世界的なグローバリゼーションの波に乗り、「世界化プロジェクト」と称して市場開放、合理化(労働組合運動の排除)を進めたが、1997年にタイのバンコクに始まったアジア経済危機が波及し、韓国経済は深刻な危機に襲われた。
 金大中政権はIMFの財政再建、規制緩和、公共事業削減など構造改革(経済調整政策とも言う)に応ずることによってその融資を受けることにして、その危機を切り抜けた。一方、北朝鮮との関係では太陽政策を掲げて対話を開始し、2000年には北朝鮮を訪問して金正日との間で初の南北首脳会談を行った。
 2002年にはサッカーのワールドカップの日韓共同開催を成功させて、韓国は日本文化の解禁に踏み切り、日本でもTVドラマなどで「韓流ブーム」が起こって関係は良好になった。  2003年に代わった盧武鉉大統領も太陽政策を継承したが、北朝鮮側がNPTを脱退して核実験を強行したため関係は急速に悪化し、東アジア情勢は緊迫の度合いを強めることとなった。

退任後の不祥事告発がつづく韓国大統領


法廷に立つ二人の元大統領
右が全斗煥、左が盧泰愚
 2009年5月23日、盧武鉉前大統領が自殺した。親族の不正事件(妻が100万ドルの不正献金を受けたという疑惑に責任を感じてのことであるらしい。韓国の大統領の在職中の不正事件が連続しており、いずれも退任後に発覚して告発されている。今回も同じような事態となってしまった。その背景には、韓国の大統領には権力が集中していることと、韓国政界の金銭体質などがあげられている。最近の韓国大統領の在任中、あるいは退任後に明るみに出た不正事件は次の通り。
  • 全斗煥 財閥から数千億(ウォン)の秘密資金を受領。クーデター関与で内乱罪に問われ、有罪となり死刑判決。後に赦免される。
  • 盧泰愚 全斗煥と同様の罪状で有罪となり、懲役22年6ヶ月の有罪判決。後に赦免される。
  • 金泳三 次男が企業から資金を受領。斡旋収賄で有罪。
  • 金大中 次男と三男が企業から資金を受領。斡旋収賄で有罪。
  • 盧武鉉 妻が企業から資金を受領。大統領自身も収賄容疑で事情聴取され、自殺。
  • 李明博 サムスンなどの大企業から収賄があったとして、退任後の2018年10月、有罪判決を受けた。
  • 朴槿恵 友人の崔順実を通じて不正事件に関与したとして、2017年3月10日、大統領断崖が成立して辞職。

日韓関係の悪化

 竹島(韓国側では独島)の領有をめぐって、対話が途絶えることとなった日韓関係は、小泉首相の靖国参拝などへに中国とともに韓国も強く反発し、植民地時代の対日協力者を糾弾する動きがおるなど、悪化の方向をたどった。2005年には盧武鉉大統領が光復60周年記念演説で過去の清算を呼びかけたが、溝はかえって深くなっている観がある。
 従軍慰安婦問題は、1993年に日本側が宮沢内閣の官房長官河野洋平の談話として、日本軍及び官憲の関与があったことを認め、「お詫びと反省」を表明したが、2006年に安倍内閣(第1次)が登場したころから日本の右派陣営の中から河野談話見直しの声が強まり、それに対応して韓国側も態度を硬化させることとなった。さらに、2008年に韓国大統領となった李明博(イミョンバク)大統領は太陽政策の廃棄、北朝鮮との対決姿勢を強めるなど、強硬姿勢に転じたが、その一環として、2012年8月10日、実効支配している独島(日本名竹島)に韓国大統領として初めて上陸した。これに対しては日本側も強く反発し、いわゆる嫌韓論が吹き出した。これは李大統領の翌年の任期満了を前にした人気取りのパフォーマンスという色彩が強かったが、その後も韓国は実効支配を続けている。

文在寅政権

 2012年の大統領選挙でも保守派の朴槿恵(パククネ)が当選した。朴槿恵は韓国発の女性大統領であり、朴正煕の娘であったので、かつてのような経済成長を期待する財界の支持があったが、2014年4月16日に起こったセウォル号沈没事故での対応の悪さや、財閥との癒着などが明るみに出たことから2017年3月、韓国で初めて弾劾制度により大統領を失職した。同年5月に行われた大統領選挙では革新政党「共に民主党」の文在寅(ムンジェイン)が当選した。文在寅は盧武鉉の側近の弁護士であった人物で、財閥との決別、北朝鮮との関係回復を掲げている。

NewS 南北首脳会談の実現

 韓国の文在寅大統領は、2018年2月の韓国で開催された平昌冬季オリンピックを舞台に急激な北との会話路線に踏み切った。急速な両者の接近は同年4月27日の板門店「平和の家」での文在寅韓国大統領と金正恩国務委員会委員長両首脳の会談を実現させ、世界を驚かせた。南北統一以前に解決すべき課題として、現在休戦中である朝鮮戦争の終結をめざすことで一致し、板門店宣言を発表した。
 アメリカ合衆国のトランプ大統領は当初、ミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮の金正恩を「ロケットマン」と呼んで非難し、経済封鎖を強化していたが、文在寅の大胆な転換に金正恩が応じるとその姿勢を変え、対話路線に転換して密かに交渉(中国の習近平政権が仲介した)を開始した。その結果、2018年6月12日、シンガポールでトランプ=金正恩会談が実現、史上最初のアメリカと北朝鮮の首脳が直接会談を行った。
 その後、経済制裁とミサイル・核兵器開発を巡って両者の駆け引きが続いている。2019年2月28日には第2回となる米朝首脳会談がベトナムのハノイで開催されたが、アメリカは北朝鮮に核の即時全面撤廃を要求、北朝鮮は段階的廃止と平和利用の余地を残すことを主張したようだが溝は埋まらなかった。
 さらに6月30日、大阪で開催されたG20の帰りに、突然トランプが板門店に行き、軍事境界線を越え、金正恩が出迎えるという形で第3回の米朝首脳会談が行われた。両者は関係良好を強く演出したが、肝心の朝鮮戦争終結宣言がどうなっているのか不明であり、日本が蚊帳の外に置かれ最大の関心事である拉致家族の完全帰国についての見通しはまったく立っていない。

参考 朝鮮半島の現状を考える

 現在の日韓両国は、竹島問題とともに靖国神社と従軍慰安婦とを焦点とした歴史認識問題というやっかいな問題を抱えて冷え切っている。さらに2018年10月30日、韓国大法廷(日本の最高裁にあたる)が日本支配時代に徴用工であった人々に日本企業に対する賠償金請求を認めたことから、「徴用工問題」がもちあがった。日本政府は1965年の日韓基本条約によって韓国側の請求権は解消していると主張、徴用工に対する賠償は国際法からいっても必要ないと反発している。韓国政府の正式な立場は請求権は既に無いとしているが、裁判所は個別の請求権については未解決との判決を下し、韓国国民の多くも日韓基本条約そのものが時の朴正凞大統領が国民的合意なしに、あるいは周知せずに、結んだものであるととらえているので、日本の強硬姿勢には反発する空気が強い。
 このように流動的な北朝鮮と韓国の動きをどう理解したら良いか。最近は北朝鮮の核開発、ミサイル実験に対して、Jアラームだ、ミサイル防衛だとあれだけ大騒ぎだった「北の脅威」論は急速に萎んだが、依然として普天間新基地建設、イージスアショア基地設置、最新鋭ステルス戦闘機購入という「防衛努力」は続いている。東アジアの新たな軍事的緊張を日本が作りだしている、ともいわれかねない動きである。
 一方の日韓関係はかつてない厳しい状況にある。テレビでもあれだけ触れていた北朝鮮民衆がいかに貧しい生活をしているか、といった情報はピタリとなくなり、いまや文大統領がいかに韓国で人気がない存在かといった「分析」や、感情的な「反日」が煽られているといった情報が多くなっている。日本人に見られる韓国に対する蔑んだものの言い方は、2000年代から顕著になった韓国経済の急成長に対する「やっかみ」からくるのではないか、とも思われるが、両国の国民感情を悪い方に煽ってなにか良いことがあるのだろうか。
 日本が北朝鮮・韓国をこのような「僻み」目線で手をこまねいているうちに、朝鮮半島情勢は急激な変化を見せるかも知れない。もし、南北統一という動きが現実のものとなったとき、日本はどのような役割を果たし、どのように動けば良いのか。その時に問われるのは、やはり少なくとも近代以降の日本と朝鮮半島の関わりの歴史をいかに正しく記憶しているか、という「歴史認識」であることは間違いない。そのとき無知でトンチンカンな、偏った歴史認識で立ちむかおうとしたら、失敗するに違いない。
 歴史から生まれた人為的な危機は、各国が知恵を出し合えば解決できる。知恵を出し合わないで、力での解決に向かうことはすべきでない。その知恵とは、東アジア諸国の過去を正しく直視し、世界史的に理解することによってこそ生まれてくるものと思う。
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書籍案内

文京洙
『韓国現代史』
2005 岩波新書

木村幹
『韓国現代史―
大統領たちの栄光と蹉跌』
2008 中公新書