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インドシナ戦争(第1次)

1946~54年までのベトナムのフランスからの独立をめざす戦いを第1次インドシナ戦争という。インドシナ植民地支配を復活させようとしたフランス軍とベトミンを中心としたゲリラによるベトナム民主共和国が長期にわたり戦ったが、1954年のディエンビエンフーの戦いでフランス軍が大敗したため、ジュネーヴ協定で講和が成立した。フランスに代わりベトナムに進駐したアメリカ軍と共産勢力の戦いが始まり、第2次インドシナ戦争が続く。

 日本の敗北後、支配を復活させようとしたフランス(第四共和政)に対し、1945年9月に独立を宣言したベトナム民主共和国の民族独立運動組織であるベトナム独立同盟(ベトミン)が戦った戦争。1946年12月19日にハノイでフランス・ベトナム両軍の衝突から本格的な戦闘を開始、ベトナム全土、さらにカンボジア、ラオスのインドシナ三国に拡大した。フランス領インドシナ全域に独立戦争が拡がり長期化し、フランスが1954年5月7日のディエンビエンフーの戦いでベトナム独立同盟(ベトミン)に敗れたことからようやく和平交渉に応じ、1954年7月21日のジュネーヴ協定での和平成立まで続いた。
 しかしこの年、フランスは1954年11月1日に今度は本国に最も近い植民地で起こったアルジェリア戦争に直面することとなる。
 なおこの間のインドシナ戦争(1945~54年)を「第1次インドシナ戦争」といい、アメリカが起こしたベトナム戦争がカンボジアに拡大した1970~75年を「第2次インドシナ戦争」、さらに1978~79年のベトナムのカンボジア侵攻と中国との戦争を「第3次インドシナ戦争」という場合もある。

インドシナ戦争の開始

 インドシナ戦争の開始については次のように訂正されている。
(引用)インドシナ戦争は、北部に拠点を置いたベトナム独立同盟(ベトミン)が1946年12月19日に開始した、というのが定説となってきた。しかし今日では、同年11月20日に、現地のフランス軍が先に攻撃を仕掛けたことが明らかにされている。植民地時代、フランスはベトナム南部のコーチシナに支配の中心を置いており、ここには反ベトミン勢力や親仏的な者たちも少なくなかった。それらを背景に素早く攻めればこの地の再征服は可能だと、現地の軍首脳は考えていた。しかも本国では最初の憲法草案が否決されるなど、不安定な政治が続いていた。そうした状況が、現地軍が突出した行動をとる後押しとなったというのである。定説の修正には時間がかかりそうだが、いずれにせよ、第二次大戦終結直後から、フランスが軍を派遣して戦闘が断続的に続いていたことを考えれば、戦争の開始がいつなのか、必ずしも自明なものではないだろう。<平野千果子編著『新しく学ぶフランス史』2019 ミネルヴァ書房 p.302>
 フランスの歴史書では次のように説明されている。
(引用)1946年末、ヴェトナムにおけるフランス当局の愚かしい行動によって悲劇的な事件が発生し、その後事態はさらに深刻化して、戦争は避けられない状況になった。フランス軍がヴェトミン支配下のハイフォンに激しい砲撃を加え、その報復としてハノイのフランス人が大量に殺されたのである。ヴェトミンはソ連と中国から有効な支援を受けており、これに対して本国を遠く離れ、世論の理解もじゅうぶんではなかったフランス軍は、戦争を続けることは困難であった。フランス軍はいたずらに戦力を消耗し、一方歴代のフランス政府は、多かれ少なかれ英米からの非難にさらされ、体面を保ちつつこの難局を切り抜ける方途をもはや見出すことができなかった。状況を打開するには、ティエン=ビエン=フーの大敗(1954年5月)という心理的衝撃が必要であった。<ギヨーム・ド・ヴェルティエ・ド・ソヴィニ/楠瀬正浩訳『フランス史』2019 講談社選書メティエ p.558>

戦争の国際問題化

 当初フランスはベトナムの首都ハノイを押さえ優位であったが、ベトミン軍のゲリラ攻撃に悩まされ農村部を支配できず、戦闘の長期化に国内にも厭戦気運がたかまってきた。1949年にフランスはバオ=ダイ帝を擁立してベトナム国を樹立した。アメリカ(トルーマン政権)は当初、フランスの植民地主義を批判し、援助に積極的でなかったが、1949年10月、中華人民共和国が成立するとアジアの共産主義化を恐れ(ドミノ理論)、ベトナムのフランス軍を全面支援することとなり、インドシナ戦争は一挙に国際的な問題と化した。

和平交渉

 ようやく1954年、停戦交渉がジュネーヴ会議として始まり、その最中の1954年5月7日にフランス軍がディエンビエンフーの戦いで大敗北を喫し、1954年7月21日にジュネーヴ休戦協定が成立して和平が実現した。

アメリカの介入

 これによってフランスはインドシナから完全に撤退することとなったが、替わってアメリカがその空白を埋めるべく、進出してきた。アメリカは和平に反対してジュネーヴ休戦協定に参加せず、むしろ1955年には南ベトナムに傀儡政権ベトナム共和国(南ベトナム)を樹立して介入し、ホー=チ=ミンのベトナム民主共和国(北ベトナム)と敵対させ、和平協定で約束された統一選挙の実施を拒んだ。

第2次インドシナ戦争

 このアメリカの介入は、1965年2月7日のアメリカ軍による北ベトナム空爆から本格的なベトナム戦争へとエスカレートしていく。そしてその戦火は70年代にカンボジアやラオスに拡大していったので、ベトナム戦争を第2次インドシナ戦争と言う場合もある。

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