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ジュネーヴ休戦協定

1954年、ジュネーヴ会議で成立したインドシナ戦争の休戦協定。ベトナム・カンボジア・ラオスの独立承認。ベトナムに関しては北緯17度線を軍事境界線として南北を分け、1956年まで統一のための選挙実施を約束したが、その部分はアメリカと南ベトナムが参加せず、南北分断の固定化を図った。

 1954年4月26日からスイスのジュネーヴインドシナ戦争の休戦を協議するジュネーヴ会議が開催された。当事国であるフランスとベトナム民主共和国ベトナム国の代表と、アメリカ、イギリス、ソ連、それに成立間もない中華人民共和国(代表が周恩来)などが参加した。

ディエンビエンフーの戦いの後に協定成立

 フランスは当初会議の引き延ばしを図り、有利な休戦を探ったが、会議中の5月のディエンビエンフーの戦いでの敗北を受け、急速に停戦に傾き、1954年7月21日に停戦協定が成立した。この停戦協定では、ベトナムカンボジアラオスのそれぞれの独立は尊重されることと、ベトナムに関しては次の点が取り決められた。
  1. ベトナムは北緯17度線を暫定軍事境界線とし、ベトナム人民軍はその北の部分に、フランス軍は以南に集結する。
  2. 8月はじめまでにいっさいの軍事行動は停止される。
  3. 以後、いっさいの増援部隊のベトナムへの導入は禁止される。
  4. 協定履行のための合同委員会と国際監視委員会を設置する。
南北統一のための選挙実施を約束 同時に、ベトナムの統一に関しては、最終宣言で、「ベトナムの住民による自由な総選挙で決定される。総選挙は国際監視委員会の管理下で1956年7月(2年後)に実施される」ことが約束された。
 しかし、アメリカは最終宣言への参加を拒否し、ベトナム国(南ベトナム)は休戦協定にも反対した。このため、この休戦協定は実質的には拘束力を持たないことになった。そのため、2年後に約束されていた統一のための選挙も実施されなかった

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