印刷 |  通常画面に戻る |

第4章 内陸アジア世界の変遷

3 モンゴル民族の発展

Text p.105

ア.モンゴルの大帝国 用語リストへ
 モンゴル高原 の情勢
・9世紀中ごろ a ウイグル が滅亡  → 遊牧民の諸部族、b 遼(契丹) に服属する。
 12世紀はじめ b 遼 の滅亡 → 高原地帯の遊牧民の統合の動き強まる。
 → 高原の東北部に、c モンゴル 部族が台頭。d テムジン が遊牧民諸部族を統一。
・1203年 高原南東部の ケレイト 、1204年 高原西南部のe ナイマン 部族を討つ。
  → モンゴル高原のモンゴル系部族を統一。
 モンゴル帝国  の成立
・1206年 a チンギス=ハン 、b クリルタイ を開催、c ハン の位につく。
・B モンゴル帝国 の軍事・行政組織
  モンゴル系・トルコ系を統合し、全遊牧部族を1000戸単位でd 千戸制 に編成。
 =▲この国家はe ウルス といわれた。また彼が定めた法令は「 ヤサ 」といわれる。
 チンギス=ハン  の征服活動
・1211~15年 中国北部のa 金 を攻撃。1214年、中都(現北京)を占領。
 1218年 東トルキスタンの西遼を奪ったb ナイマン の残存勢力を滅ぼす。
 1221年 西トルキスタンのc ホラズム (トルコ系のイスラム国家)を滅ぼす。
  → インダス河流城(奴隷王朝の支配下にあった)に進出。
 1227年 d 西夏 を滅ぼす → モンゴル高原を中心に、東西トルキスタンを制圧。
チンギス=ハン

C チンギス=ハン  

 オゴタイ=ハン  1229年 第2代大ハンに即位
・1234年 a 金 を滅ぼし、中国の北半分(華北)を支配。

Text p.106

・都をb カラコルム に定める。→▲契丹人 耶律楚材 などを用い、税制などを整備。
 西方(ヨーロッパ)遠征  ジュチ(チンギス=ハンの長男)の子a バトゥ  が指揮する。
・1236年 キプチャク平原を征服。トルコ系騎馬遊牧民を軍事力に取り込む。
・1237年 モンゴル軍、ロシアに侵入。1640年 b キエフ公国 を滅ぼす。
  → さらに東ヨーロッパのハンガリーに侵入、ポーランドからシュレージェンに攻め入る。
 1241年 c ワールシュタットの戦い (ポーランドのリーグニッツの付近)
   ポーランド・ドイツの連合軍と戦い、勝利する。”死体の地”の意味。
  → 1242年 オゴタイ=ハンの死去により、モンゴル軍引き上げる。
・a バトゥ はヴォルガ中流域に止まり、南ロシアとカスピ海北岸を支配。
 → モンゴルとトルコ系民族の同化が進む。
 南・西アジアの征服  1251年 第4代ハン ▲a モンケ=ハン 即位。
・1253年 弟フビライをチベット・雲南(▲b 大理国 )に派遣、54年に征服。
・  同 年 弟c フラグ を西アジア(イラン・シリア・メソポタミア地域)に派遣。
 1256年 北部イランの山岳地帯に拠ったイスマイール派 暗殺教団 を滅ぼす。
 1258年 d バグダード  を攻撃、占領しe アッバース朝の滅亡 。(後出)
  → 東西交易路の大半を抑え西アジアから東アジア世界に及ぶ世界史上最大の帝国が成立。
・c フラグ は翌年のモンケ=ハンの死後もタブリーズを拠点に西アジアに止まる。
 ▲1260年  アインジャールートの戦い でd マムルーク朝 に敗れ、シリアから撤退。
 モンゴル帝国の分裂 
・1259年 モンケ=ハンが急死。1260年 a フビライ  第5代ハンに即位。
  → 末弟 アリクブケ も第5代ハンに即位。兄弟間の内戦となる。
  → 1264年 a フビライ が勝利し、都を中国本土に移す。(後述)
・1300年 b ハイドゥの乱  オゴタイの孫が反乱を起こす。
  → 1305年 鎮圧される。 → その後もハンの位をめぐる争い続く。
・元が宗主権を持ち、元の皇帝を大ハンとし、3つのハン国が実質的に分離する。
  = それぞれの国家はモンゴルでは ウルス と言われた。
┌─ c イル=ハン国 :フラグが建国。イラン、イラクなどを領有。
│ 
│    首都は タブリーズ 。1295年、ガザン=ハンがイスラーム教に改宗(後出)。
│ 
├─ d キプチャク=ハン国  :バトゥが建国。ロシアを支配。
│ 
│    首都は サライ 。トルコ系遊牧民と次第に同化する。
│ 
└─ e チャガタイ=ハン国  :中央アジア。東西トルキスタンを支配。
 
      首都は アルマリク 。一時衰亡し、14世紀に東西に分裂。
補足:もう一つのハン国
先頭へ
イ.元の東アジア支配 用語リストへ
 フビライ=ハン  の統治 
・新国家の建設 
 首都の造営 1264年 カラコルムから 上都 (開平府)と中都(燕京)の両都に移す。(両京制)
       1267年 中都を廃してa 大都 を建設し遷都する。(現在の北京)
 年号の制定 1260年 中統元年とする(モンゴル初)、64年には至元元年に改元。
 国号の制定 1271年 国号をb 元 とする。
・中国の統一 1276年 臨安を占領し、c 南宋  を滅ぼす。
    ▲このとき、フビライに仕えるイラン人の製造した回回砲(投石機)を使い、襄陽を攻略した。
  → 1279年 南宋の残存勢力を▲ 厓山の戦い で破り、中国を統一。
・モンゴル高原と中国全土を併せて 大元ウルス と称する。
  = モンゴルと中国を統合し、西方のハン国も従属させた、世界帝国となる。

Text p.107

・d 高麗 を属国として支配 → 1270~73年 元に対する抵抗の 三別抄の乱 おこる。
  →  高麗版大蔵経 金属活字 高麗青磁 などの文化が盛んになる。(3章3節で既述)
 遠征軍の派遣   いずれも失敗するがアジア諸地域に大きな変動をもたらす。
・日本遠征:1274年・1281年 日本遠征 ▲a 元寇 (文永・弘安の役) 暴風雨に遭い失敗。
・南方遠征:
 b ベトナム 遠征: 陳朝 が、モンゴルの侵入を3度にわたって撃退。
 ミャンマー(ビルマ):元の侵攻を受け、c パガン朝 が滅亡(1287年)。
  → モン人がイラワディ川下流に ペグー朝 を建てる。(~1539年まで)
 タイ:雲南地方にいた タイ人 が、モンゴルに圧迫されて南下し、チャオプラヤ流域に入る。
  → 1257年 チャオプラヤ川上流にタイ人のd スコータイ朝 成立。
  → 1350年 チャオプラヤ川下流に起こったアユタヤ朝に滅ぼされる。
 e ジャワ島 遠征:1292年、大艦隊を派遣し、交易開始を要請。遠征としては失敗。
  →  シンガサリ朝 、元の使者を追放。続いてf マジャパヒト王国 が元と結び興隆。
  → 16世紀 本格的イスラーム化も始まる。
 カンボジア(アンコール朝)には使節を派遣。随行した周達観が▲ 『真臘風土記』 を著す。
 ※元(モンゴル帝国)の海上進出の影響
 g 東南アジアとインド洋交易圏の結びつきを活発化し、東南アジアのイスラーム化を促進した。 
 元 の全盛期 13世紀後半~14世紀初頭、第2代成宗の時に全盛期となる。
・a モンゴル人至上主義 :モンゴル人を最上位に置く社会・政治上の階層制度。
  b 色目人 :トルコ・イラン・アラビア人など。特に優遇され、貿易・商業に従事。
  c 漢人 :旧金国(華北)の漢民族で被支配層。契丹人、女真人を含む。
  d 南人 :旧南宋(江南)の漢民族で被支配層。官吏になれない。
・中央政治: 中書省 (行政)、枢密院(軍事)、御史台(監察)をおく。
・e 科挙の中止 :1313年に再開されたが、漢人の士大夫が役人になることは少なかった。
  → 士大夫の没落。 儒者の地位も下がり、▲ 九儒十丐 と言われる。
・地方統治:行省( 行中書省 )がいくつかの路をまとめて管理。
  征服地の統治:▲ ダルガチ という役職を置き戸口調査、徴税、駅伝業務などを管轄させた。

モンゴル帝国の最大領域

モンゴル帝国
 元  B チャガタイ=ハン国   C キプチャク=ハン国   D イル=ハン国 
 ケレイト  2 ナイマン  3 西夏  4 金  5 南宋  6 大理  7 パガン朝  8 西ウイグル 
 西遼  10 ホラズム  11 アッバース朝  12 ルーム=セルジューク朝  13 キエフ公国 
 カラコルム  b 上都  c 大都  d アルマリク  e サライ  f タブリーズ 
 ワールシュタットの戦い  h アインジャールートの戦い  i 厓山の戦い  j 文永・弘安の役 

Text p.108

 交通・貿易の発達 
・a 駅伝制(ジャムチ) の施行:通行証として 牌符 を発行。
  大都を中心に道路網を建設、駅には周辺住民から馬・食料を提供させる。
   →b ムスリム商人 の隊商貿易により、遠くヨーロッパとも交易。
・海上貿易:宋代に続き、c 杭州 ・d 泉州 ・e 広州 などの港市が繁栄。
   → アラビア人商人 蒲寿庚 などが活動。
・f 大運河 の改修と新設 大都を外洋を結ぶ 通恵河 の建設。
  → 貿易の陸上ルートと海上ルートの連結。→ 海運の発達。
 経済の発展  
・貨幣(銅銭・金・銀)に替わり、紙幣のa 交鈔 のみを流通させた。
    → 紙幣が元の主要な通貨となって銅銭は不要となり、日本などに輸出された。
補足: 元で発行された紙幣
・宋代と同じく大土地所有が続き、地主がb 佃戸 を使って経営する形態が続いた。
 元代の文化   
・特色・a 儒教の停滞:儒学は否定されなかったが、科挙は中断され振るわなかった。 
   ・b 庶民文化の発展:元曲など都市の庶民文化が発達した。 
   ・c チベット仏教の保護:他の宗教には寛容でイスラーム教などが認められた。 
   ・d 東西の文化交流:宣教師、商人の往来が続き、東西文化の交流が盛んであった。 
・戯曲:e 元曲 が流行。f 『西廂記』 (恋愛物語)、g 『琵琶記』  (伝奇もの)
   『漢宮秋』(漢代に匈奴王に嫁した王昭君の哀話)
・小説:『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』などの原型できる。完成、刊行はいずれも明代。
・美術: 趙孟頫 (別名は趙子昂) 書と文人画。
    文人画: 元末の四大家 =黄公望、王蒙、倪瓚、呉鎮。 
先頭へ
ウ.モンゴル時代のユーラシア 用語リストへ
 東西交流の活発化 
・モンゴル帝国の成立 → ▲a タタールの平和  の実現  → 交通路の整備
  → ユーラシア内陸・海上での東西を結ぶ商業ルートでの交流が活発となる。
 背景 b 十字軍運動 を展開中でありイスラーム勢力の背後の勢力と結ぼうとした。
 ▲「 プレスター=ジョンの伝説 」(東方にキリスト教の王がいるという伝説)の影響もあった。
・ローマ教皇( インノケンティウス4世 )の使節派遣
 1245~47年 c プラノ=カルピニ を派遣 → グユク=ハンに面会。
・フランス王d ルイ9世 の使節派遣。
 1253~55年 e ルブルック を派遣 → モンケ=ハンに面会。
・f マルコ=ポーロ の活躍(1271~95年)。:ヴェネチアの商人。
  → 大都でフビライに仕える。帰路はインド洋を回り、イル=ハン国を経て帰国。

Text p.109

・g 『世界の記述』(『東方見聞録』) を著す。→ 日本を初めて西欧に紹介。
・1287年、イル=ハン国の使節 ラッバン=ソウマ 、ヨーロッパに来る。
・1294年 ローマ教皇 h モンテ=コルヴィノ を大都に派遣。
  → 大司教としてカトリックの布教を許される。 → 十字教と言われる。
  → ▲後任として1342年にマリニョーリが大都に来て布教。
B 東西文化の交流 キプチャク=ハン国、イル=ハン国がイスラーム教を保護。
・1280年 a 郭守敬 、イスラーム暦をもとにb 授時暦 をつくる。→日本の貞享暦。
・中国絵画 元からイル=ハン国を経て、c ミニアチュール(細密画) に影響。
・多様な言語が用いられたが公用語にはモンゴル語、公文書にはd  パスパ文字 を用いる。
  = フビライの師のチベット仏教の教主 パスパ が作った文字。
・14世紀 アラブ人の旅行家 e イブン=バットゥータ の来訪 『三大陸周遊記』を著す。
先頭へ
エ.モンゴル帝国の解体 用語リストへ
 モンゴル帝国 の解体
・14世紀 各ハン国で内紛が生じる。
 チャガタイ=ハン国:東西分裂後、14世紀後半に西にa ティムール が台頭。
 キプチャク=ハン国:ロシア国家のb モスクワ大公国 が次第に自立する。
 イル=ハン国:キプチャク=ハン国、c マムルーク朝 との対立が続き、国力衰退。
 元の滅亡 
・放漫な財政、▲a チベット仏教 寺院の建設 → 財政難が強まる。
 → b 交鈔(紙幣) の濫発 → 物価が騰貴し、不満強まる。
   塩の専売強化 → 民衆生活を圧迫し社会不安広まる。
・1351年~66年 c 紅巾の乱 が起こる。
 = 宗教結社であるd 白蓮教 徒の起こした反乱。
1368年 江南から北上したe 明 の軍隊により、大都を奪われ、モンゴル高原にしりぞく。
先頭へ


前節へ : 目次へ : 次節へ

ノート表示メニュー
全解答表示
未解答クリア
全解答クリア
印刷メニュー
解答なし
解答あり
この節の小見出し
ア.モンゴルの大帝国
イ.元の東アジア支配
ウ.モンゴル時代のユーラシア
エ.モンゴル帝国の解体

目 次

序章 先史の世界

1章 オリエントと地中海世界

2章 アジア・アメリカの文明

3章 東アジア世界

4章 内陸アジア世界

5章 イスラーム世界

6章 ヨーロッパ世界の形成

7章 諸地域世界の交流

8章 アジア諸地域の繁栄

9章 近代ヨーロッパの成立

10章 ヨーロッパ主権国家体制

11章 欧米近代社会の形成

12章 欧米国民国家の形成

13章 アジア諸地域の動揺

14章 帝国主義と民族運動

15章 二つの世界大戦

16章 冷戦と第三世界の自立

17章 現代の世界