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ポリスの平民

古代ギリシアのポリスにおける平民は、はじめ無権利の状態であったが、経済的自立を背景に発言権を強め、貴族との抗争を展開。前6世紀末までに貴族と同等の権利を獲得し、民主政を実現した。

 古代ギリシアのポリス社会では、シノイキスモス(集住)の過程でその指導にあたった有力者が王となる王政から始まり、前12世紀ごろの民族移動期にはそれ以外の有力者層が貴族としてポリスを支配するようになった。農民などの平民は王や貴族の支配を受けていたが、彼らの中で私有地であるクレーロスを耕作し、家内奴隷を所有して自立するものが次第に増えていった。ヘシオドスの『労働と日々』には、農業に従事する農民の世界が詠われている。
 前8~6世紀にはギリシア人は活発に植民活動を行い、地中海各地との交易が盛んになったこともあって貨幣経済が進展、武器の価格下落にともない武器を自弁できるようになってた平民が重装歩兵としてポリスの防衛に参加するようになった。
 前7世紀のアテネではポリスの市民は4等級に分けられ、そのうち第3級の「農民級」、第4級の「労働者級」が平民と言われた。

貴族と平民の抗争

 平民(農民)はポリスの市民の一員として発言力を強め、貴族の寡頭支配に反発し、国政への参政権を求めるようになっていった。貴族政は動揺しはじめ、前632年には貴族のキュロンがクーデターで権力を握ろうとしたが、平民たちの抵抗で失敗するという事件も起こった。続いて、前621年にはドラコンの立法によって平民も成文法で守られることになり、前594年のソロンの改革では負債の帳消しや債務奴隷の禁止の措置がなされ、財産をもつ平民の政治参加も実現した。アルコンも平民から選ばれるようになり、平民は貴族と対等な政治参加を実現させていった。このような平民の力の向上を背景として、貴族と平民の双方に人気を得て独裁的な権力をにぎったペイシストラトス僭主政が前6世紀後半に現れた。

民主政の実現

 前508年、クレイステネスの改革によって僭主の出現が防止され、実質的なポリス市民社会が確立した。なおも平民の中では豊かな上層市民と貧民(下層市民、無産市民とも)の格差があったが、ペルシア戦争の時期に、三段櫂船の漕ぎ手として下層市民も活躍するようになって発言権を増していき、前6世紀末にアテネ民主政が確立する。市民権を得た平民は、民会に参加し、抽選制によって公職や陪審員を務め、重装歩兵としてポリスの防衛に参加した。

奴隷、在留外人、女性

 ポリス社会の構成員であるポリス市民であったが、ポリスは奴隷制度が存続し、多くの奴隷が存在したこと、また市民権法(アテネ)ではメトイコイ(在留外人)など人間とは扱われたが参政権は認められない人々が存在、なによりも女性には市民権が認められなかったことも忘れてはならない。
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