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アルコン

古代ギリシアのポリスにおける最高権力を持つ役職。執政官。任期1年、定員9名で、民主政下では抽選で選出されるようになった。貴族政では貴族から選ばれたが、民主政では平民から選ばれるようになった。

 古代ギリシアのポリスで貴族の中から選ばれて王に代わって最高権力を握った機関。またはアルコーン。指導者または「第一人者」という意味で、一般に執政官と訳す。前8世紀ごろにポリスの政治形態が王政から貴族政に移行するとともに、王権の中の国政を執行する権利が分け与えられて生まれた。代表的なポリスであるアテネでは、前683年から、定員9人で任期が1年となり、行政、軍事、祭祀、法律の制定などの権限を持つ、貴族政での最高権力機関となった。アルコンは任期が終わるとアレオパゴス会議(元老院)の終身会員となった。
 アルコンは任期1年制と9人の同僚制が特徴である。筆頭アルコンはアルコン・エポニュオスと言われ、その人の名で年をあらわす。西暦の1年の途中からの1年任期なので、アテナイの歴史ではたとえば「ニコデモスのアルコンの年(483/2年)」と表記する。

民主政でのアルコン

 前594年にはソロンがアルコンに就任、貴族と平民の対立を調停して平民の政治参加に道を開き、ペイシストラトス僭主政をへて、前508年にアルコンとなったクレイステネスのもとで民主政の基礎が築かれると、アルコンの職名は民主政のもとでの執行権力となり、前478年からは選出には抽選制(クジ引き)が用いられるようになった。
 画期的なことは前462年にエフィアルテスと若きペリクレスに、貴族政の牙城であったアレオパゴス会議の実権を奪い、その機能を五百人評議会民会民衆裁判所にあたえられたことであった。これによってアルコンの存在がさらに重要となった。
 前458年には平民(ソロンの財産政治の第3級にあたる農民級)の中からアルコンが選ばれることになった。はじめは選挙された候補者の中から抽選されたが、後には選挙抜きでくじ引きだけで選ばれた。
 なお、古代ローマ共和政で執政官に該当すのはコンスルである。ローマではギリシアとは異なり、アレイオパゴス会議にあたる元老院が大きな力を持ち続けた。その点にギリシアとローマの歴史の道筋のちがいがある。<村川堅太郎他『ギリシア・ローマの盛衰』1993 後段が学術文庫 p.101>
 また、民主政下のアルコンがクジ引きで選ばれる9人の合議制で、しかも任期1年で重任・再任を認めなかったことは民主主義の理想的制度であったが、その運用には困難もあったようだ。そのため特に軍事面では、民会において選挙で選ばれ重任も認められた将軍職(ストラテーゴス)が実際には政治にも関与し、事実上の権力を握ると言うことがあった。前443年に将軍職に選出されたペリクレスは、その後15年にわたって再任が続き、アテネの軍事・政治を指導した。<村川堅太郎他『同上』 p.102-3>

Episode 「アルコン無し」がアナーキーの語源

 なお、ギリシアのポリスでは、貴族と平民の争いが激しくなり、アルコン職を立てることができない状況が「アルコンなし」の意味で「アナルキア」といわれた。政治権力が空白となることを意味していたが、それが近代になって用いられるようになった「アナーキー」 Anarchy の語源となった。そこから国家権力を否定する思想であるアナーキズム(無政府主義)という言葉も生まれた。
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書籍案内

村川堅太郎他
『ギリシア・ローマの盛衰』
1993 講談社学術文庫