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単性説

カルケドン公会議で異端とされた、キリストに神性だけを認める教説。非カルケドン派ともいい、コプト教会、アルメニア教会などに継承される。

 キリスト教の正統とされたアタナシウス派三位一体説を否定し、キリストの人性は、この世において神性と融合し(または人性は仮性で、神性のみを認めると説明する)、単一の神性をそなえた存在となったと考える、有力な異端の一つであった。

イエス=キリスト論争

 早くからキリスト教信仰の中で、イエスキリストをどのようにとらえるかによって異なった信仰があった。イエスは大工のヤコブとマリアの間に、マリアの処女懐胎によって生まれたと信じられているが、その本性は、人性であるのか、神性であるのか、あるいはその両性を持った存在なのか、という違いが地域、教会の中に生まれてきた。313年にキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝は、キリスト教の教義とキリストに対する見方を統一する必要に迫られ、325年に第1回のニケーア公会議を開催した。当時、アリウスは単純にイエスは神ではなく人間に過ぎないと主張したが、それは信者一般のイエスは神であるという素朴な信仰と相容れない。そこで生まれた教説がキリストは人間であるとともに神であるという両性を備えているとするアタナシウスの考えであった。ニケーア公会議ではアリウス派は異端とされ、アタナシウスの両性論が正統とされた。アタナシウスの両性論は、381年の第2回のコンスタンティノープル公会議で父と子に聖霊が加えられ「三位一体説」として確定した。

三位一体説を否認

 ところがこの三位一体説ではキリストは神性と人性の両性をどのように統合しているのか、両性は対等なのか、どちらかが優勢なのかなどの疑問が出されるようになった。とくにその中で、キリストの両性を否定し、いずれかの本性を主とする単性説が生まれてきた。ただし、単性説にも、それを人性と見る考えと、神性とみる見方があった。
 431年エフェソス公会議で問題となったネストリウス派の考えは、キリストが神だとすればそれは人間マリアから生まれるはずがないと考え、キリストは人性が本性であると主張した。ネストリウス派はキリストの神性を否定したのではなく、神性と人性は別なものであり、イエスはその独立した両性を合わせもっていると考え、人性を守ろうとした。このネストリウス派のキリスト論は結局否定され、異端とされたが、この段階では単性説とは言われなかった。

イエスを神性のみとみる単性説

 単性説として明確に言われるようになったのは451年の召集されたカルケドン公会議で問題とされたもので、それはキリストは人間として現れたがそれは形だけであり神性によって満たされており、本性は神であるとするもので、人性と神性の両性を持つという正統派教義を否定するものであった。この「キリストは神性のみを持つ単性論」は判りやすさもあって、ビザンツ帝国の東方の辺境地帯で広く信じられていた。しかし、結局カルケドン公会議ではキリスト単性説は異端であると断定され、改めて三位一体説の正当性が確認され「カルケドン信条」が作られた。

東方教会の宗派

 その結果、単性説の信仰を捨てなかった東方のエジプトのコプト教会や、エチオピアアクスム王国)、シリア正教会(ヤコブ派)※、アルメニア教会などは現在でも残存している。
 このように、カルケドン公会議で三位一体説を否認した宗派は、広い地域に存在し、地域的に独自の展開をした。広く「東方教会」といわれているが、その中にはシリアに広がったネストリウス派なども含まれており、それらを「単性説」としてひとくくりするのは困難で、最近では「非カルケドン派」として捉えるようになっている。
※シリア正教会 シリア正教会は、アンティオキアで始まった最も古いキリスト教の一宗派で、シリアで広がり、現在はダマスクスに拠点を置き、少数ながらインドなどの各地で信者が活動している。これまで「ヤコブ派」と言われることが多かったが、それは教義を確立した指導者ヤコブ=バラダエウスの名に由来し、主にローマ教会側によって使われた名称であり、現在のシリア正教会はヤコブは始祖であったわけではないので、ヤコブ派といわれることを否認している。また、その教義は受肉した(この世に出現した)キリストの本性は単一であり、それは神性である」というものであるが、シリア正教会は自らを「単性説」とくくられることも否定している。あくまでカルケドン公会議で三位一体説を否認した教団として分離したので、「非カルケドン派」教会と称するのが正しいと言っている。その点ではアルメニア教会などと同じである。 → 参考 シリア正教会 ホームページ
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