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アメリカ独立革命

イギリスからの独立戦争を戦い、勝利することによって、世界で最初の共和制国家を実現し、独立宣言・合衆国憲法で自由・平等と民主主義の原則を明確として市民社会を出現させた、市民革命。

市民革命としてのアメリカの独立

 アメリカの独立戦争(1775年~83年)は、アメリカ植民地が独立をめざしてイギリス軍と戦った戦争であり、フランスの参戦など、国際的な戦争であった。しかしその意義は、アメリカ合衆国として独立し、王政と貴族制、身分制を否定してブルジョアジー(市民階級)が権力を握った近代世界最初の共和政国家をつくりあげたことにあり、その意味で市民革命(ブルジョア革命)そのものであった。そこで単に独立戦争に止まらず、アメリカ独立革命(または単にアメリカ革命)と言われる。とくに1776年の「独立宣言」は、平等・自由などの基本的人権、国民主権、人民の革命権などを打ち出しており市民革命としてのアメリカ革命の理念を端的に現している。革命によって成立したアメリカ合衆国は、従来のヨーロッパ諸国と決定的に異なり、初めから国王や貴族階級の存在しない、平等な市民が主権を持つ国家として始まった。

アメリカの独立とヨーロッパ

 またアメリカ独立革命の成功は、大西洋をはさんでフランス革命を引き起こすこととなり、この二つを一連の「市民革命」ととらえることが出来る。(「大西洋革命」と言われることもあり、また同時期に展開されたイギリスの産業革命と並べて「二重革命」という概念でとらえる学説もある。アメリカの独立はヨーロッパに大きな影響を与えたが、独立直後のアメリカは、大西洋をはさんでヨーロッパから遠く離れているという地勢的な条件もあって、ナポレオン戦争に対しては中立の態度をとった。その過程でイギリスと再び対立が生じ、第2次独立戦争とも言われるアメリカ=イギリス戦争(1812~14、米英戦争)となった。これは独立したての合衆国にとっては危機であったが、勝利とは言えないが敗北をまぬがれて独立を維持し、経済的自立に向かうこととなった。またヨーロッパでウィーン体制が成立して君主国が復活すると、1823年にはモンロー教書を発してそれらとは一線を画し、孤立主義をその外交政策の基本に据えるとともに、西半球への覇権をめざす路線をあきらかにした。

独立革命後の問題

 アメリカ合衆国は1787年に採択された合衆国憲法によって人民主権と三権分立のもとで、13の States =国家で構成される「連邦主義」の国家として出発したが、連邦政府と州の権限をめぐる連邦派(フェデラリスト)反連邦派(アンチフェデラリスト)の対立はその後も継続した。また国民の主体はイギリス系(WASP)であったが、次第にヨーロッパの他国からの移民が増加し、次いでアジアやラテンアメリカからなども多数の移民を受け入れる多民族国家であった。そして内部には黒人奴隷制インディアン問題など、『民主主義』国家としての深刻な問題点も継続する。さらに19世紀前半までにアメリカの領土拡大を推し進め、西漸運動が進んだ一方、北部工業地帯と南部奴隷制農場の経済的対立は次第に深刻となった。

南北戦争の意義

 このような多面性をもった新しい国家を、国民国家として一体化させナショナリズムを成立させたのが、1861年の南北戦争であった。この戦争によって、アメリカ合衆国が真の市民社会を基盤とする近代的国家として独立と統一を実現したといえる。その意味で南北戦争はアメリカ史のなかで、Civil War と言われてており、市民革命としてのアメリカ独立革命はここまで含まれるとも言える。南北戦争が北軍の勝利で終わったことは、新生アメリカ合衆国が奴隷制を克服した民主主義国家として、連邦主義・保護主義(ある意味ではヨーロッパ諸国からの自立を強める路線である「孤立主義」と一致する)を基本とし、工業化・産業化をめざす国家方針が明確になったことを意味し、その路線に沿ったアメリカ資本主義は、19世紀末にイギリスを抜いて世界一の生産力を誇る大国となり、帝国主義段階へと移っていく。 → アメリカの外交政策  アメリカ帝国主義