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フランツ2世

1806年に退位した最後の神聖ローマ皇帝。オーストリア皇帝としてはフランツ1世。娘のマリー=ルイーズはナポレオンの後妻となった。

 オーストリア=ハプスブルク家神聖ローマ帝国皇帝オーストリア大公。マリア=テレジアフランツ1世の間に生まれたレオポルト2世の子。したがってマリア=テレジアの孫にあたる。父に続いてナポレオンイタリア遠征以降のフランスのナポレオンとの戦いが続いた。ナポレオン軍に敗れたオーストリアは、1797年カンポ=フォルミオの和約で南ネーデルラント、ロンバルディアなどを放棄、その代わりにヴェネツィアを獲得して終わった。

最後の神聖ローマ皇帝となる

 さらに、1805年12月2日のアウステルリッツの戦い(三帝会戦)で敗れ、南西ドイツ諸侯がナポレオンを盟主としてライン同盟を結成したため、神聖ローマ帝国皇帝を退位せざるを得なくなり、1806年に退位。これが最後の神聖ローマ皇帝となり、これによって神聖ローマ帝国は消滅した。ただし、オーストリア大公の地位は残ったので、彼は初代のオーストリア皇帝フランツ1世となった(オーストリア帝国としてはここからはじまるので1世と称した)。 → ハプスブルク帝国
 ナポレオンはさらに、フランツの娘マリ=ルイズとの結婚を望み、1810年に不本意なナポレオンとの政略結婚であったが同意した。ナポレオンとの折衝は外相メッテルニヒが当たっていたが、ナポレオン没落後には、ヨーロッパの国際秩序を再建するためのウィーン会議を主催し、フランス革命とナポレオン戦争後の国際的な反動体制の中心的存在となった。オーストリア皇帝フランツ=ヨーゼフ1世はフランツ1世の孫にあたる。
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