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モールス(モース)

1837年に電信機の実験に成功、翌年モールス信号を考案した。1844年にはワシントン・ボルチモア間の電信実用化に成功した。

 モールス(Morse モースとも表記 1791-1872)は、アメリカで肖像画家として活動しており、ヨーロッパで美術研究を終えて帰国する船上で、ボストン大学教授ジャクソンから電磁石の説明を受け、電磁石を電信機に利用することと、符号化して電信とするアイデアを思いついたという。電気については素人のモールスは電気学者のヘンリや器械の専門家ヴェイルの協力を得て、1837年にモールスはリレー(継電気)という装置を使った電信機の実験に成功した。翌38年には、「・」と「-」を組み合わせた「モールス信号」を考案した。

電信機の実用化に成功

 1842年、政府が3万ドルを負担してワシントンからボルティモアまで約60キロの電線が引かれて通信実験に成功し、1844年5月24日に実用化された。その後、50年代にかけてヨーロッパ諸国に「電信」が普及していった。さらに、1851年にドーヴァー海峡に海底電信ケーブルが敷設され、さらに1866年、大西洋を越えてイギリスとアメリカが海底ケーブルで結ばれ、世界は通信網で一体化していった。ロンドン-東京間は1872(明治5)年に「電信」が交わされている。<宮崎正勝『モノの世界史』2002 原書房 p.288>

Episode モールス、実は発明していない

 モールスは、電信機の“発明家”として知られ、その名は彼が考案したという電信用符号の名とともに不滅のものとなった。しかし実際には彼の本業は画家で、科学的知識は持っておらず、その業績は正確にいえば電信機と電気通信を特許とし、事業化することに成功した人、ということのようだ。
 彼は「モールス信号機もモールス信号も発明していない。」電気を情報伝達に利用しようというアイディアはすでに1809年、ゼメリングという人が開発していたが実用化されなかった。1832年にはドイツのシリングが実用的な電磁気的電信機を組み立て、翌年にはゲッティンゲンで数学者として名高いガウスと物理学者ヴェーバーが磁針電信機を使用した。1837年には、鉄道の先駆者スティーヴンソンがイギリスで磁針式電信機による30マイル鉄道電信線の利用を開始している。
 1791年、マサチューセッツ州チャールズタウンで生まれたモールスは画家を志し、ヨーロッパで修行、歴史画の作家として知られるようになった。1832年、41歳になっていたモールスは、二度目の渡欧から帰国する船で、同船していた乗客(前出のジャクソン)がボタンを操作してでコイルでつながった銅線の先端に衝撃を与えて見せ、航海に飽きた乗客を楽しませているのを見た。この電磁気の器械に衝撃を受けたモールスは、ニュースを迅速に遠くまで伝達する電信のアイデアを思いついたという。電磁誘導はその前年の1831年にイギリスのファラデーが発見したばかりだった。
 帰国後アイデアの実現を試みたが技術的な知識はなかったので、二人の協力者、ジョセフ=ヘンリとアルフレッド=ヴェイルを得て、契約を結び、二人が技術的な開発にあたることになった。モールス自身は文学、芸術、デザインの大学教授に就任したので、開発には携わらなかった。ヴェイルは父親の鉄工場で自由に機械の製造ができ、1838年最初の形の電信機を作った。しかし伝達に向いた文字システムがなかったのでヴェイルは文字を長短の線からなる記号に変えることを考案した。こうしてヴェイルは電信機のシステムを発明した人物だったが、彼はモールスとの協力契約があるため、特許出願をせず、特許はモールスが手中に収めた。ヴェイルは何年も後にその事を質問され、「私は、最初にして唯一の発明者としての自分の権利を一度も公然と主張したことはない」、モールスとの契約があるため、特許を出願しても取れなかっただろう、と述べている。
 モールスは名声も多額の金も手中に収めたが、その功績は発明そのものになるのではなく、最初のアイデアとそれを実現させるための計画を粘り強く押し進め、最後には議会を味方に引き入れて、1844年に最初のアメリカ電信区間の建設を実現させたことにある。<ゲールハルト=プラウゼ/森川俊夫訳『異説歴史事典』1984 紀伊國屋書店 p.119-121>
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ゲールハルト=プラウゼ
/森川俊夫訳
『異説歴史事典』
1984 紀伊國屋書店