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フセイン

第一次世界大戦の時期のアラブの指導者、メッカの太守。イギリスとの密約によりオスマン帝国に対する反乱を起こす。

 フセイン(フサインとも表記)は、預言者ムハンマドの曾祖父ハーシムの血統を引く、アラブ世界で最も崇敬を受けるハーシム家の当主で、聖地メッカ及びメディナを管理する権限を持ち、シェリフ=フセインと言われた(シェリフまたはシャリーフとは預言者ムハンマドの直系子孫の称号)。オスマン帝国から総督(アミール。太守、知事とも訳す。)に任じられていた。

フセイン=マクマホン協定の締結

 第一次世界大戦が始まり、でオスマン帝国(及びその背後のドイツ)と戦っていたイギリスはこのフセインに反乱を持ちかけ、オスマン帝国の後方を攪乱することを考えた。イギリスの高等弁務官マクマホンはフセインに働きかけ、1915年にフセイン=マクマホン協定を締結して大戦後のアラブの独立を約束し、その反乱を支援することを約束した。

アラブの反乱

 こうしてフセインは、イギリスの支援によって「大アラブ王国」の建設を夢見て、1916年「アラブの反乱」を起こし、1918年にはダマスクスを陥落させヒジャーズ王国の樹立を宣言した。このアラブの反乱を指導したのがイギリス人「アラビアのロレンス」ことトマス=E=ロレンスであった。

サウード家との争いに敗れる

 ヒジャーズ王国メッカを首都とし、フセインはカリフを称してイスラーム世界全体の主導権も得ようとした。しかし、大戦後イギリスは約束を破り、サイクス=ピコ協定に基づいて中東をフランスと分割して委任統治として支配した。フセインのヒジャーズ王国も、アラビア半島のリヤドを本拠としたサウード家のアブドゥルアジーズ(イブン=サウード)によってメッカを追われ、ヒジャーズ王国は1924年に滅び、フセインはキプロスに亡命した。

Episode イギリスに踊らされたアラブ人同士の争い

 イギリスの対アラブ政策には二つのルートがあった。エジプトを拠点とするイギリス陸軍省の軍人はハーシム家のフセインと結び、一方、インド政庁を拠点としてイラク方面からアラブ進出をねらうイギリス軍の一派はサウード家を支援した。ハーシム家とサウード家という同じアラブ人同士だが、両方ともイギリス人に踊らされ、結局サウード家の勝利に帰したこととなる。大戦後、アラビアはサウード家のものとなったが、イギリスはフセイン=マクマホン宣言の約束を守るため、フセインの4人のこともたち、アリ、アブドゥラ、ファイサル、ザイドを優遇し、次男アブドゥラにはトランスヨルダンの国王、ファイサルはイラクの国王と地位を与えた。 →第15章 3節 西アジアのアラブ諸国の独立 ハーシム家 
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第15章1節 イ.戦時外交と総力戦