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グレナダ侵攻

グレナダはカリブ海、西インド諸島の島。イギリス植民地から独立。1983年、左派政権が成立したこと対しアメリカのレーガン政権が軍事介入した。

グレナダ YahooMap

 グレナダは、カリブ海の西インド諸島の南東に弧状に延びる小アンティル諸島(その中のウィンドワース諸島とも言う)の最南端にある、小さな島。1498年にコロンブスが到達して以来、スペイン人がまず入植した。スペインの古都グラナダに因んでいるようだが、日本では区別してこちらはグレナダと言っている。
 次ぎにフランス人が入植、現地のインディオは絶滅し、労働力として導入された黒人奴隷の子孫のアフリカ系黒人とムラート(白人と黒人の混血)が現在の住民の大部分を占める。1762年にイギリスが植民地化し、第二次世界大戦後の1967年に独立を宣言した。
 1974年からはイギリス連邦の一員となったので、元首はイギリス国王であり、総督が置かれているが、それは形式的なもので、実質的には独立国である。首都はセント・ジョーンズ。人口は約10万という小国。

原住民インディオの絶滅

 小アンティル諸島に到達したスペイン人は、インディオのカリベ族の抵抗を受けた。好戦的はカリベ族はしばしば反乱を起こしたが、17世紀末までにほとんど殺戮され、生き残ったものはドミニカ島などの砂糖プランテーションの労働力として追い払われてしまった。グレナダ島の場合は原住民はフランス人によって文字どおり絶滅させられ、最後に残った一群は全員崖から身を投げて死んだ。いまに残る「投身の丘(ル・モルン・デ・ソーテュール)」がその現場である。<エリック=ウィリアムズ/川北稔訳『コロンブスからカストロまで』1970 岩波現代新書 2014 p.136 「白い貧民」>

独立

グレナダ国旗

グレナダの国旗

 グレナダは第二次世界大戦後の1967年にイギリス連邦の自治領となり、1974年に独立を達成した。そのとき、自らを「救世主」と呼び、国連で空飛ぶ円盤の調査を呼びかけるなど奇抜な振る舞いをするエリック=ゲーリーが1974年から独裁者としてふるまい、批判するものを投獄する恐怖政治を布いていた。

人民革命政府の登場

 1979年、アメリカの黒人運動指導者マルコム=Xの影響を受けたモーリス=ビショップが黒人の権利を掲げてゼネストを展開、独裁政権を倒して人民革命政府を樹立した。ビショップ政権はキューバとの関係を深めたため、アメリカは危険視し、政権転覆の機会を狙った。

アメリカ軍のグレナダ侵攻

 1983年、ビショップ政権内のソ連派オースチン軍司令官がクーデターを起こし、ビショップ首相を殺害するという事態となると、アメリカのレーガン大統領は、グレナダに存在する「アメリカ市民の安全を確保する」ことを口実に、7000人の海兵隊をグレナダに侵攻させた。その狙いは、グレナダに親ソ政権が登場することを阻止し、親米政権を作ることであったが、さすがに単独では国際的非難がおきるので、多のカリブ海諸国を巻き込む多国籍軍という形を取った。しかしアメリカ以外の兵士は全部で300人に過ぎず、実態はアメリカ軍単独の侵攻であった。しかも、その2年前にはアメリカ軍はグレナダ侵攻を想定して大規模な上陸作戦演習をプエルトリコで行っていた。
 アメリカ軍はグレナダを空爆した上で上陸を演習通りに実行、グレナダ軍はキューバ兵も含めて抵抗したが、圧倒的に兵力、武器で劣り、瞬く間に制圧された。小さな島を占領したアメリカ軍はオースチン軍司令官を逮捕し、裁判にかけて死刑を宣告した。これによって人民革命政府は倒れ、親米政権が樹立された。<伊藤千尋『反米大陸』2007 集英社新書 p.150-154>
 → アメリカの外交政策
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