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閥族派/オプティマテス

共和政ローマ末期に生まれた、元老院議員など保守層を中心とした政治勢力。反元老院勢力である平民派と対立し政争を繰り返した。代表的人物はスラ。

 ローマ共和政末期に現れたオプティマテス optimates といわれた党派を閥族派(門閥派ともいう)としている。古くからの名門貴族の出で元老院の議員を世襲してきたような閥族を基盤としていた。元老院を中心とした寡頭政治体制の維持をはかったので、保守派と見られている。元老院の既得権に反発することの多かった平民派(民衆派、ポプラレス)と対立した。その代表的な例は、スラであるが、彼は将軍として対外戦争で活躍して名声を高め、政治的権力を獲得したが、その権力を支えるのは没落して庇護関係(クリエンテス)にある私兵となったような人々であった。またポンペイウスクラッススはスラの腹心の軍人であるので本来は閥族派だが、途中で元老院と対立して平民派の支持を受けるようになる。

平民派との違い

 ローマ共和政末期の閥族派と平民派は、激しく対立し、前1世紀のローマの歴史を理解する上で重要な党派である。その名称だけからすると、閥族派=貴族、平民派=平民(民衆)と理解しがちであるが、この対立は階級的対立ではない。おおよその傾向として、
 閥族派=元老院議員などの名門貴族=保守的
 平民派=騎士階級などの新興富裕層=革新的
という図式で説明されるが、広い意味ではいずれも支配階級に含まれるのであり、両派ともその支持を広く民衆に求めて「パンと見世物」を提供している。両派は階層的な対立よりは、同じ支配層の中の私的な権力争いのグループという面が強い。また、両派とも近代以降の政党のような、綱領や政策をもつわけではなく、人間関係――平たくいえば親分=子分関係――で結びついた私的な利害関係から党派に分かれたという面が強い。

参考 「閥族」の意味

(引用)閥族とは、オプティマテス、つまり「最良の者」の集まりという意味のラテン語にあてはめた日本語である。ボヌス=良い(フランス語のボン)の最上級がオプティスムという言葉であり、「もっともよい」という意味をもっていたのだ(「オプティミズム(楽観論)」とはここからきた言葉で、逆に「ペシミズム(悲観論)」とは、「ペシムス」=「最悪の」からでてきた言葉である)。ところで、このオプティマテス、すなわち「最良の者」=閥族とは、ことにあたり政策決定の最高機関である民会を通すにしても、元老院を尊重し、その権威に服して政策をおしすすめてゆこうとする人たちのことである。<長谷川博隆『カエサル』1994 講談社学術文庫 p.54>
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長谷川博隆
『カエサル』
1994 講談社学術文庫