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西ローマ帝国の滅亡

5世紀初め、ゲルマン人などの侵攻に晒された西ローマ帝国は、急速に統治能力を失い、476年、ゲルマン人の傭兵隊長が皇帝を退位させたことによって形式的にも滅亡を迎えた。

 395年の東西分裂後も、西ローマ帝国はミラノ、次いでラヴェンナを都に存続したが、4世紀に始まっていたゲルマン人の大移動の波がその領内に及ぶようになり、5世紀にはいるとゲルマン人、さらにアジア系のフン人がローマをたびたび掠奪し、大きな脅威にさらされるようになった。帝国の防衛もゲルマン人傭兵部隊に依存しなければならず、皇帝は傭兵部隊の意向でたびたび廃位された。

西ローマ皇帝の退位

 475年、皇帝の交代に際して、新皇帝に土地を要求したが拒否されたゲルマン人傭兵たちは、傭兵隊長オドアケルに迫り、翌476年、皇帝を追放した。すでに西ローマ皇帝は統治能力を失っており、オドアケルによる皇帝追放は、形式的な西ローマ帝国の滅亡を意味するだけであった。オドアケルはイタリア王を名のったが、東ローマ帝国の宗主権を認めたので、西ローマ総督の地位についた。オドアケルはラヴェンナでイタリアを統治したが、493年、東ローマ帝国から派遣された東ゴートのテオドリックによって滅ぼされた。

5世紀のゲルマン人・フン人の侵入

406年
東ゴート人の侵入。
406年
ヴァンダル人などのライン渡河。
409年
ブリテン島を放棄。
410年
西ゴート人アラリックのローマ掠奪。
430年
ヴァンダル人ガイセリック、アフリカに入りヒッポでローマ軍を破る。
451年
フン人のアッティラ大王のガリア侵入。
452年
アッティラ大王、ローマに侵入。ローマ教皇レオ1世による説得で撤退。
455年
ヴァンダル人のガイセリック、ローマ掠奪。
474年
ガイセリック、アフリカ・シチリアその他の地中海諸島を領有。
475年
西ゴート人のスペイン領有、ブルグンド人などのガリア分割。
476年
西ローマ帝国、オドアケルによって滅ぼされる。

476年以前に実質的に滅亡していた

 476年にゲルマン人傭兵隊長によって最後の皇帝が廃位されたことをもって「西ローマ帝国の滅亡」とされているが、上の年表でもわかるように、西ローマ皇帝はすでに国家を統治する存在ではなくなっていた。
(引用)(476年の)この事件は、今日では「西ローマ帝国の滅亡」としてすこぶる重要なものとされているが、同時代の人々はさして重視していなかった。476年をもってローマ帝国は滅亡したと認識されるようになったのは、次の世紀、6世紀の歴史書などが最初である。世界史の中では、残りわずかの線香の火が消えたような出来事だった。<南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』2013 岩波新書 p.201>
 では、西ローマ帝国が実質的に滅亡したのはどの時点だっただろうか。それは5世紀の初めに「帝国」としてのローマは滅亡したといってよい。4世紀の中ごろ、370年頃まではローマはけして対外的に劣勢ではなかったが、378年のアドリアノープルの戦いで西ゴートとの戦いでの大敗北、409年のヴァンダル人など諸部族のライン渡河による侵攻とブリテン島の喪失、というようにローマ帝国はごく短い間に帝国に四半分の支配権を失った。<南川『同上書』 p.201>

参考 「ローマ帝国衰亡史」の意味

 しかし、西ローマ帝国が急速に衰亡した理由を、外敵の侵入や為政者の無能に帰すのは間違いだ、と南川氏は指摘している。それは西ローマは滅亡したのに、東ローマが存続したのはどういう違いはどこから来たか、を考えることによって見えてくる。南川氏に拠れば、東では皇帝の統治を支える人びとの中に多くのローマ出身以外の諸民族が含まれ(「第三のローマ人」と評価している)、彼らは同じ「ローマ人」意識を持ち続けていた。しかし西は、もともとガリアなどの独立性が強く、地域自治が機能していたため、その中から有能な軍人や行政官が成長していたが、反作用として西ローマ宮廷は次第に彼らを「ローマ人」から排除し、偏狭な「排他的ローマ主義」意識が生まれていった。
 そのような観点から考える南川氏の「ローマ帝国衰亡史論」を要約すれば、次のようになるだろう。最盛期のローマ帝国は担い手も領域の曖昧な存在であったにもかかわらず一つの国家として統合され、維持されていたのであり、その曖昧さこそが帝国を支える要件であった。その曖昧さを支え帝国を実体あるものにしたのは、王政・共和政時代以来の国家発展の歴史を認識し、記憶することで「ローマ人である」というアイデンティティが形成されたからである。そしてその歴史の記憶ゆえに、偏狭な自己認識におちいって他者を排除することに陥らなかった。
 ところが、4世紀以降、高まる外圧の下で「ローマ人」は偏狭な差別と排除の論理で政治も動かされるようになり、結果としてローマ国家は政治・軍事で敗退しただけでなく「帝国」としての魅力と威信(引用者注。寛容さと求心力といってもいいかも知れない)をも失っていった。<南川『同上書』 p.203-207>
※ひるがえってアメリカ帝国は・・・などということは南川氏は一切、口にしていない。しかし、トランプのアメリカや、EUの抱える問題、そして日本の現状などを思うとき、同書の南川氏の指摘は重いものがあるような気がする。<2019.1.2記>
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書籍案内

南川高志
『新・ローマ帝国衰亡史』
2013 岩波新書