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コロッセウム

ローマ帝国の時代、80年のティトウス帝の時に完成した円形闘技場。剣闘士奴隷の試合などの見世物が演じられた。ローマ文化を代表する建造物である。

コロッセウム
ローマのコロッセウム
 古代ローマのコロッセウムは、暴君として倒された皇帝ネロが、ローマの大火の後に建てた宮殿の巨大な銅像(コロッスス)があったところに、75年にウェスパシアヌス帝が建造を開始し、その子のティトウス帝のときの80年に完成した。当時はウェスパシアヌスとティトウスの氏族名からフラウィウス円形闘技場と呼ばれたが、ネロの巨大な銅像をコロッススといっていたことから、中世以降はコロッセウムというようになった。従って、コロッセウムは固有の名称であったが、現在は、そこから生まれたコロシアムという語が円形競技場(ラテン語ではアンフィテアトル)を示すようになっている。なお、ローマ時代にはローマ以外の都市にも円形闘技場が造られており、その数は全部で250にも上るという。現在も地中海各地に古代遺跡として残されている。
注意 コロッセウムの完成年 コロッセウムは、ウェスパシアヌス帝の時に着工、およそ5年を要し、ウェスパシアヌス帝存命中の79年に最初の(仮の?)奉献式が行われたが、翌80年に同帝の息子ティトウス帝によって一部未完成のままで本格的な奉献式が挙行された。<島田誠『コロッセウムからよむローマ帝国』1999 講談社選書メチエ p.6>

コロッセウム

 ローマの円形闘技場、コロッセウムは、高さ52m、長径188m、短径156m、4万5千の観客席があり、さらに5千人分の立ち見席が最上階にあった。観客席はアリーナに一番近い大理石の座席が元老院議員、その上が騎士階級席、その上が商人や職人などの上級市民席、最上階が一般席であった(今でも座席に「学校の先生のため」とか「来賓のため」などと記されているのを見ることができる)。アリーナは板張りの上に砂を敷きつめ、その下に猛獣小屋が作られていて、巧みな構造でアリーナに出るようになっていた。コロッセウムの出し物は、剣闘士(グラディエーター)同士の試合や、キリスト教徒や罪人を猛獣に襲わせる見せ物であった。<青柳正規『皇帝たちの都ローマ』1994 中公新書 p.259,265/島田誠『コロッセウムからよむローマ帝国』1999 講談社選書メチエ p.6-7などによる>
※なお、コロッセウムは4層からなるが、その第1層の柱はギリシア建築のドーリア式、第2層はイオニア式、第3層がコリント式でつくられている。ギリシア文化の影響も見られるが、ローマ文化の実用性の高い建築技術を示す、代表的な遺構である。旧ローマ市内の中心部フォルム(ローマ広場、フォロ=ロマーノ)から数百メートルのところにあり、カピトリウムの丘と向かいあっている。

コロッセウム建設の背景

 コロッセウムは、帝政前期のローマ市に新たに出現した巨大建造物であった。共和政時代にはローマの中心部のフォルムは公共広場として民会や裁判とともに剣闘士試合などの市民に向けての娯楽の興業が行われていたが、内乱の1世紀を収束したアウグストゥスの頃から、フォルムに神殿や公共浴場などの建造物がつくられたため、広場としての機能が失われた(同時にそれはローマの民主政の形骸化に繋がった)ため、帝政時代になると広場に変わる市民が一堂に集まり、政治的に一体になるとともに娯楽を楽しむ場としてコロッセウムが建造されることとなった。
コロッセウムで演じられたのは コロッセウムでは、民衆が皇帝に対して要求した「パンと見せ物」のうち、見世物にあたる娯楽がまず提供された。それには、剣闘士奴隷の競技、動物と動物または動物と剣闘士奴隷、あるいは模擬海戦などが繰り広げられた。キリスト教徒に対する迫害が強くなると、信者をライオンの犠牲にするなどの処刑も、「見世物」として興行された。<島田誠『コロッセウムからよむローマ帝国』1999 講談社選書メチエ p.60-73>

Episode コロッセウムでの剣闘士試合

(引用)この巨大な建築物は、古来、ローマの象徴とされており、“コロッセウムが立つ限り、ローマも立つであろう。コロッセウムが倒れるとき、ローマも倒れるであろう。ローマが倒れるとき、世界も倒れるであろう。”とうたわれてきた。その観客席に五万の観衆をのんだ、この闘技場で、いったいなにがおこなわれていたのであろうか。紀元80年、コロッセウムの落成式がおこなわれたとき、時のローマ皇帝ティトウスは百日間にわたって各種の競技をおこなった。剣闘士奴隷どうしのちなまぐさい競技もあったし、たった一日のあいだに人間と猛獣の格闘のなかで、あらゆる種類の5千頭もの猛獣が殺されるということもあった。この闘技場を水でみたして人工の湖をつくり、三千人もの剣闘士を動員する模擬海戦もおこなわれた。ローマ帝国の各地からやってきた大観衆を前にして、このような人間と猛獣の数知れない死によって血ぬられたコロッセウムは、その後、404年の剣闘士試合の中止、523年の猛獣演技の廃止にいたるまで、毎年のように残酷な死のゲームを、熱狂した観客に提供し続ける場となったのであった。<土井正興『スパルタクスの蜂起』1973(新版は1988)青木書店 p.13-14>

Episode “コロッセオ 崩落止まるか”

 「コロッセウムが立つ限り、ローマも立つであろう」と言われたコロッセウム(コロッセオ)が、崩落の危機にあるという。2012年1月14日付朝日新聞によれば、コロッセオは大気汚染で汚れ、石組みの崩落が起きるなど、痛みがひどくなっており、真下を走る地下鉄の振動の影響も指摘され、早急な修復作業が必要とされてきた。ところが、財政危機によってベルルスコーニ前政権が文化予算を減らす中、高級靴ブランドのトッズが約24億円の修復費用を全額を負担すると表明した。契約ではトッズがコロッセオの画像を15年間、商業利用できる内容が含まれている。それに対して、消費者団体などがかみついた。また遺跡修復専門家も経費節減で壊れやすい部分が普通の建築業者に任される恐れがあると異議を申し立てた。それに対して市当局は、官民挙げての文化財保護の新し試みとして、トッズ社との契約を続けると言っている。ローマ市長によると2012年3月には修復工事に入る予定であるという。はたしてコロッセオは、いやローマは立ち続けることができるだろうか。<朝日新聞 2011年1月14日朝刊>
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書籍案内

青柳正規
『皇帝たちの都ローマ』
1992 中公新書

島田誠
『コロッセウムからよむ
ローマ帝国』
1999 講談社選書メチエ

映画『グラディエーター』のような剣闘士試合のリアルな描写は期待できないが、コロッセウム、剣闘士を生んだローマ社会を詳しく、丁寧に解説している。