502年、斉の皇帝の一族であった蕭衍(しょうえん)が、斉に代わって梁王朝をひらいた。この梁の
武帝の統治は約50年に及び、
南朝でもっとも栄えた時代と言われる。皇太子の
昭明太子は文人としても有名で文選を編纂した人物だが早世した。
武帝の仏教保護
また梁の武帝は仏教をあつく信仰し、その保護のもとで都の
建康には多くの寺院が建造された。また建康の商業はさらに繁栄したため、貨幣が不足し、武帝は銅銭に代わって鉄銭を発行した。しかし、
548年に始まる北朝からの降将の侯景が起こした反乱(
侯景の乱)で建康は荒廃し、
557年、部将の陳覇先に帝位を奪われ、
陳に交代する。