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自治都市/都市共和国/コムーネ

中世において封建領主から自立して自治権を認められた都市を自治都市という。特に商業が早くに復興したイタリアで発達し、都市共和国(コムーネ)を形成した。

 都市の歴史の中で、中世封建社会において、封建領主に対する貢納の負担を免除され、また領主裁判権の及ばない都市を自治都市という。特に北イタリアの諸都市は、貨幣経済の発展を背景に、有力市民層を中心にして、封建領主に対する長い戦いであるコミューン運動を続け、10~11世紀ごろに自治権を勝ち取っていった。そのような北イタリア中世の自治都市から発達した都市共和国をコムーネ(Comune)という。
 一方、神聖ローマ帝国皇帝のお膝元であるドイツでは、有力な都市は皇帝から特許状を与えられ、皇帝直属の都市となることで事実上の自治を認められる帝国都市という形態をとることが多かった。

北イタリアのコムーネ

 イタリアの都市はその地域の領主に服し、行政は教会の司教が行うことが多かったが、10世から11世紀にかけて、北イタリアでの都市の商工業の発展を背景に、ミラノなどの市民(その中心が商人ギルド)が自治権を獲得していった。大商人は封建領主と抗争する際、ローマ教皇の支持を受けることが多かった。都市の権力を握ると大商人層は新たな都市貴族となっていった。
イタリアの都市国家の特色 北イタリアの都市の住民共同体は、都市の自治権を握ると、その周辺の農村への徴税権などを封建領主から奪っていった。農村の徴税権は領主が皇帝大権都して行使していたので、このような都市の成長は皇帝大権を脅かすものであった。城壁で囲まれた狭い意味での都市部だけではなく、その周辺の農村部も支配を及ぼしたこと(つまり事実上の領域国家となったこと)は、イタリアの中世の都市国家(コムーネ)の特色と言うことができる。

都市同盟の形成

 12~13世紀、神聖ローマ皇帝は、イタリア政策と言われるように、イタリアに統治権を及ぼす事に努めた。それは、皇帝の庇護下にある封建領主の実権が、都市の住民自治によって次々と奪われ、周辺農村の支配権も失っていった事に対する反撃でもあった。そのような皇帝側の攻勢に対して、北イタリアのコムーネ(自治都市)は都市同盟であるロンバルディア同盟を結成して対抗した。皇帝フリードリヒ1世は皇帝大権を復活させるためにも北イタリア遠征を行ったが、1176年、ロンバルディア同盟軍とのレニャーノの戦いに敗れ、1183年、コンスタンツの和議で都市の農村支配権を認めた。これによって事実上、都市(コムーネ)が皇帝大権を行使する「国家」となった。

ゲルフとギベリンの争い

 一方、皇帝と教皇の争いは、都市同士、または都市の内部に、教皇党(ゲルフ)皇帝党(ギベリン)の対立をもたらす。神聖ローマ皇帝の支配に対抗しようとした大都市は教皇党となり、中小都市や封建領主層は皇帝となることが多かったが、都市内部においても新興の有力商人層は教皇党、保守的な大商人層は皇帝党を支持していたとされる。

都市共和国の発展

 また周辺の農村で解放された農奴が都市に流入し、都市人口も増加する。手工業者の同職ギルドの親方など中産階級は、都市貴族と対立するようになり、13世紀ごろには一定の共和政を実現させるが、両者の対立からくる混乱を武力と財力で抑えた独裁者が出現するようになる。15世紀のフィレンツェのメディチ家はその典型である。
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