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領主/封建領主/荘園領主/貴族

ヨーロッパ中世封建社会で、土地の租税徴収権を持つ社会の支配的階層。中世初期では王権に従属しない強い領主権を持っていたが、価格革命、軍事革命などで没落し始め、絶対王政では王権に従属するようになる。市民革命でその特権を失うまで長く権力を維持した。

 領主とは封建領主、荘園領主とも言われ、中世封建社会の中で、一定の土地の租税徴収権を認められている人々であり、少数の支配階級であった。古代以来の貴族という概念でとらえることも出来るが、一面では騎乗で戦闘に従事するので騎士でもあり、日本では鎌倉幕府の御家人などの上層武士階級にあたる。領主はその支配する土地である荘園の規模はさまざまで、国王もその直轄地に対しては領主である。多くは領主とは、諸侯であり教会であり、修道院であった。また領主の間には、有力なものと弱小なものとの間に、土地を仲立ちとした封建的主従関係が何重にも存在していた。さらに封建領主(貴族)は所領に対する非課税特権と役人の立入を拒否することの出来る不輸不入権が与えられていた。 → 貴族(ギリシア) 貴族(ローマ) 貴族(中国) 諸侯(ヨーロッパ)

領主と農奴

 領主は荘園などその領地内の農民から賦役や地代をとりたて、またその地の通行税を取ることも出来、さらに領主裁判権の行使など、経済外的強制を通じて領民を支配した。領主に地代を納める中世の農民は、一定の自由は認められるので古代の奴隷と区別して農奴と言われるが、土地に縛られて人格的な自由はなく、重い負担に課せられており、近代の農民とも区別される。

領主から地主へ

 中世後期(ほぼ12世紀の十字軍時代以降)は、三圃制農業の普及などに伴って生産力が向上し、商業が復興してくると、貨幣経済が荘園の中にも浸透し、領主たちも貴族・騎士としての体面を保つためもあって貨幣支出が多くなる。すると、従来現物納付であった年貢や労働力で負担した農奴の賦役を貨幣で代納するようになる(貨幣地代)。領主直営地も次第に農民に小作させて貨幣地代を取る形態に変化する。こうなると領主と言うより、地主として地代を取るだけの存在になっていく。

封建領主の没落

 14~15世紀にイギリスとフランスの間で戦われた百年戦争は、領主たちが騎士として戦いの主力となっていたが、戦争が長期化して長い間出征するうちに経済的に疲弊していった。また黒死病の流行による人口の減少は、農業労働力の価値を高め農奴の地位は向上した。しかし、同時に貨幣支出も増大した領主は農民に対する課税を強化しようとして封建反動が起こった。このような動きに対して農民は強く反発し農民一揆が激しくなった。フランスのジャックリーの乱、イギリスのワット=タイラーの乱がその例である。このような動きはイギリス及びフランスでの封建領主層の没落を早めていくこととなり、それに反比例してこの両国では国王に権力が集中して絶対王政が成立し、主権国家体制が形成されていく。ドイツでは封建社会の解体は遅くなり、16世紀の宗教改革とむすびついてドイツ農民戦争が起こったが、その後も領主は地主貴族(ユンカー)に姿を変えて19世紀まで存続する。

価格革命の影響

 さらにヨーロッパにおいて大航海時代が始まり、新大陸から大量の銀がもたらされて、16世紀に価格革命といわれる銀の価値の急落、物価の急騰が起こった。こうなると地主が農民から取り立てる地代は商品ではないので定額であるから、貨幣価値の変動は地主化していた領主経済を直撃することになる。このような動きが定額地代収入に依存する領主(地主化している領主)を没落させることになり、封建社会を終わらせる要因となった。

軍事革命による騎士の没落

 戦場において騎士として働くのが封建領主の本来の姿であったが、百年戦争に始まり、イタリア戦争で明確となった火砲(鉄砲)の実用化による騎馬戦術の後退という、いわゆる軍事革命によって、その役割は無くなっていった。これも騎士階級、つまり封建領主層の没落の一つの要因であった。

アンシャンレジーム期の貴族

 ヨーロッパ各国の絶対王政のもとで、封建領主層は没落していったが、なおも封建的特権を維持しながら、王政を支える官僚や軍人へと変質していった。英仏百年戦争はイギリス・フランスでの封建領主層の没落を進めたが、イギリスでは比較的早く封建領主層の地主化が進み、その中の大地主はジェントリの上層階級を構成して世襲貴族なっていった。彼らは議会政治の中で、上院(貴族院)議員としての世襲の特権を認められながら、王政との抗争と妥協を繰り返し、17世紀末に名誉革命で立憲君主政を成立させた。17世紀ごろ以降はジェントリ上層階級はジェントルマンといわれるようになる。
 フランスではブルボン朝の時期に中央集権化と官僚制への転換が図られるなかで、従来の貴族が軍服貴族(騎士としての伝統を継承する貴族)と言われたのに対して、高等法院などの上級官僚に登用されて新たに貴族に加わった人びとを法服貴族と言うようになった。リシュリューとマザランによって王権強化が進められたことに対して貴族たちは1649~53年にフロンドの乱を起こしたが、それが鎮圧されてからルイ14世の絶対王政全盛期が出現する。このフランスのアンシャンレジームと言われた時期は、貴族は第二身分を構成し、依然として免税などの特権を認められ、領主権を維持していた。この貴族特権が最終的に失われるのがフランス革命においてである。

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