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フランシスコ=ザビエル

イエズス会の創設に加わり、アジア伝道を行い、日本で最初にカトリックを布教した。

 スペインのバスク地方ナヴァラの貴族出身。パリ大学で学んでいたとき、同じスペイン出身のイグナティウス=ロヨラらとともに、宗教改革の嵐の中で揺らいでいたローマ教皇の権威を守り、そのためには教会の腐敗堕落を改める必要があると考え、対抗宗教改革の同志となった。1540年にイエズス会として教皇の認可を受けた。

日本への布教

 ザビエルはローマ教皇パウルス3世の命を受け、アジアにおける教皇代理の肩書きでインドに赴きゴアを拠点にアジアでの布教にあたった。マラッカで日本人アンジローに会い日本伝道を志し、1549年まず鹿児島に上陸、日本に初めてキリスト教を伝えた。日本でのキリスト教布教の基礎を築いた後、いったんゴアに戻り、さらに中国布教が可能であることを知り、マカオに向かったが、途中、広東の上川島で没した(1552年)。
 ザビエルの死後、その遺志を継いで、多くのキリスト教宣教師がインド、中国、日本を目指し布教活動を行った。

Episode 日本人最初のヨーロッパ留学生

 日本人で最初にヨーロッパに行った人物は、天正少年使節が最初ではない。それは、洗礼名「ベルナルド」という青年で、フランシスコ=ザビエルから鹿児島で洗礼を受けた人物であるが、貧しい下級武士と言うだけで、名前や出身地ははわかっていない。ザビエルの信任を得たベルナルドは1551年にヨーロッパに向けて出発した。ゴアのイエズス会の学院で学んだ後、リスボンに上陸、コインブラの修道院に入った。ザビエルの盟友、ロヨラに招かれてローマに行き、教皇パオロ4世(パウルス4世)に謁見した。しかし肝臓病を病み、1557年に病没した。その足跡はほとんどわからず、墓地も見つかっていない。<泉秀樹「日本人最初のヨーロッパ留学生-ベルナルドの足跡-」私学共済広報誌『レター』vol.17 2001.1>

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書籍案内

尾原悟
『ザビエル』
Century Books―人と思想
1998 清水書院