ドイツ本土空爆/ドレスデン空襲
イギリス・アメリカ空軍のドイツ本土爆撃は1942年から始まり、45年2月のドレスデン大空襲で最大の犠牲者を出した。
ドイツ本土空爆
第二次世界大戦では、1942年春から、イギリス・アメリカの空軍によるドイツ本土に対する空爆が本格化した。イギリス南東部の基地から飛び立った4基のエンジンを持ち、4~5トンの爆弾を抱え、2500kmの距離を飛ぶ爆撃機が、戦闘機の護衛を受けて、連日連夜ドイツ本土の都市、工業地帯を空爆した。アメリカ軍が昼間、イギリス軍が夜間役割を分担し、時には一回の出撃で3000トン以上の爆弾が投下された。ドイツ軍はジェット機やロケット弾で対抗しようとしたが次第に物量でおされ、抵抗力を失った。イギリス・アメリカは航空機を失ってもカナダとアメリカ本土の工場でつぎつぎと製造することができたが、ドイツは国内の工場がすべて空爆され、生産が不可能であった。<『20世紀の戦争』朝日ソノラマ p.59>ドレスデン空襲
ドレスデン GoogleMap
ドレスデン大空襲の民間人の死者は公式には3万5千人とされているが、ある推定では11万5千人に上るともされている。このドレスデンへの無差別爆撃の“成果”に学んだアメリカ軍は、続いて日本への都市爆撃に踏み切った。それが1945年3月10日の東京大空襲であった。
ドレスデン聖母教会の再建
Source: Wikimedia Commons (Public Domain)
2018年のセンター試験で、ドレスデンに関する設問があり、そのリード文は次のようなものだった。
(引用)ドレスデンは、17世紀から18世紀前半にポーランド王を兼ねたザクセン選帝侯フリードリヒ=アウグスト1世(強王)の下で、ザクセン選帝侯国の首都として大きく発展した。この時期に、町の中心部にはツヴィンガー宮殿が建てられ、巨大な石のドームで知られる聖母教会の建設も始まった。しかしドレスデンは、第二次世界大戦中に連合軍の爆撃によって大きな被害を受けた。空爆時に崩壊した聖母教会は、戦争による破壊への警鐘として廃墟のまま保存されていたが、東西ドイツ統一後に全世界から寄付を募って再建され、現在は「平和のための学びの場」と位置づけられている。あわせて「聖母教会の祭壇」の写真が用いられ、「十字架は、ドイツ軍の空襲を受けたイギリスの都市コヴェントリーからの和解の象徴として贈られたもの。」との説明が記されてる。
<2018年度センター試験 第3問 問題文>