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中華民国政府/台湾政府

1949年末、国共内戦に敗れ、台湾に逃れた中国国民党蔣介石の率いる政府(台湾政府)。

国民政府の台湾統治

 国共内戦(第2次)に敗れた中華民国の国民政府は国民革命軍とともに1949年12月8日に正式に台湾の台北に遷都を決定した。当時蔣介石は敗戦の責任をとって総統を辞任していたが、翌年3月に総統に復帰し、台湾の統治者となった。同島には5月以来、共産党軍の侵攻に備えて戒厳令が敷かれており、この戒厳令は1987年まで実に38年間継続した。 → 中華人民共和国

Episode 金銀財宝も台湾へ

 国民政府は台湾に移る際、蔣介石の指示で、中央銀行、中国銀行などを初めとする関係銀行が所蔵する国庫の金、銀、米ドルなどの財貨と外貨を秘密裏に台湾に搬入した。黄金390万オンス、米ドル7千万ドル、白銀7千万ドル相当、合計時価5億ドルにのぼったという。また北京が共産党軍に占領される前に、故宮博物館(旧清朝の紫禁城)にあった移動可能なほとんどの文化財を台湾に運び込んでいた。これらは現在、台北の故宮博物館に展示され、台湾の重要な観光資源になっている。<戴國煇『台湾』1988 岩波新書 p.122,127>

朝鮮戦争の時期

 国共内戦に惨めにも敗北した蔣介石を、アメリカは当初見捨てようとしたが、朝鮮戦争が勃発すると一転して全面的な支援策を講じ、社会主義中国に対する防衛の最前線と位置づけ、日本の再軍備と共に国民政府との講和である日華平和条約も締結され、1954年には米華相互防衛条約が締結された。50年代以後、冷戦時代を通じて中国本土と台湾の間の海峡には緊張が続く。またアメリカの支援により、台湾は「中国」の国連代表権と安保理の常任理事国の地位を維持してきた。

白色テロの時代

 台湾は1949年5月から、1987年まで、国民党蔣介石・蔣経国総統のもとで戒厳令(最も長い戒厳令だった)が布かれ、自由な言論、結社・政治活動の自由は抑圧され、政府批判に対しては共匪(共産党ゲリラ)、あるいは親共産党のレッテルが貼られて逮捕・拷問によって弾圧が行われた。これら国民党によって行われた反共テロを「白色テロ」と言っている。
(引用)国民党政権は中国大陸で惨敗したとはいえ、その軍隊と警察の情報・治安系統をもって台湾を統治するのには、十二分の余裕があった。本物或いは無実の「共匪」及びその影響を粛清せんがため、国民党の特務=情報・治安組織は、盛んに牢獄を設け、統計によると、1950年代から1987年の戒厳令解除まで、台湾では2900余件の政治事件が発生し、約14万の人たちが連座し拷問を受け、そのうち3000から4000人の人たちが処刑された。……その対象には、外省人、本省人、さらに先住民が含まれ、女性、学生にまで及んでいる。……<周婉窈/浜島敦俊監訳『図説台湾の歴史増補版』2007 平凡社 p.226>

米中接近と台湾の国連追放

 冷戦体制が1970年代に入って米ソの緊張緩和と、一方での中ソ対立の深刻化という大きな変化が生じ、アメリカと中華人民共和国が急接近、1971年にキッシンジャー大統領補佐官が中国を訪問して世界を驚かした。同年10月、国連総会は「中国」の国連代表権を中華人民共和国に与えることと台湾の国連追放を決議し、台湾は議席を失った。翌1972年にはアメリカはニクソンの訪中を実現させて中華人民共和国を事実上承認し、同年には日本の田中角栄首相が訪中して日中共同声明を発表して、日華平和条約は破棄された。さらに1979年にはアメリカのカーター政権は米中国交正常化を実現して台湾と断交し、米華相互防衛条約は1980年に失効した。ただし、それに代わるものとして、アメリカは国内法として「台湾関係法」を制定、台湾との特別な関係を維持する姿勢を示した。

権威主義のもと経済成長

 1970年代に台湾は大きな苦境に立たされることとなったが、1975年に蔣介石が死去して子息の蒋経国が総統となった。蔣親子による戒厳令の下での独裁政治は、一面でアメリカ資本の援助や日本の民間との交易によって経済を発展させ、開発が進められた時期でもあった。この体制は、「権威主義」のもとでの一種の開発独裁とも言えるものであった。
 蔣経国総統は「十大建設」として南北高速道路、桃園国際空港、原発建設、鉄鋼、造船、石油化学コンビナート建設などの国家プロジェクトをアメリカ資本・日本資本の援助によって推進した。また、IT(通信技術)分野に力を入れたことで急成長を遂げ、1980年代の経済成長は、台湾をNIEsの一つにかぞえられるような位置におしあげ、世界的に脅威とみられるようになった。しかし同時にこの経済成長は必然的に古い政治体制を揺るがせ、戒厳令下で続いていた民主化の戦いを、1980年代末に一層進展させ、1986年の新党民進党の結成、87年の戒厳令の解除という政治変動をもたらすこととなった。 → 現代の台湾
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書籍案内

周婉窈/浜島敦俊監訳
『増補版 図説台湾の歴史』
2007 平凡社

図説というより本格的な台湾人自身による通史。