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日華平和条約

1952年4月に締結された日本と中華民国(台湾)との講和条約。1972年に日中国交正常化したために無効となった。

 1952年4月、日本と蔣介石政権下の中華民国(台湾)政府との間で締結された平和条約。中華人民共和国の成立、朝鮮戦争というアジア情勢に対応し、反共同盟の一環として締結されたもの。中華民国(台湾)はサンフランシスコ講和会議に参加できなかったので、サンフランシスコ平和条約とは別に個別に締結された、両国間の戦争状態の終結を宣言し、中華民国は日本に対する請求権を放棄した。 → 台湾 日本の再軍備
 日本はサンフランシスコ平和条約条約と同時に日米安全保障条約を締結しており、アメリカ合衆国の対共産圏包囲網の一員として組み込まれており、日華平和条約はその一環として機能するものであった。

日中国交回復で無効となる

 日本は当時すでに大陸を制圧した中華人民共和国を認めず、台湾政府を中国の正当な政権としてこの条約を締結した。そのため、中華人民共和国との戦争状態は依然として続くこととなり、両国間の正式な国交は回復されず、戦後の大きな外交問題となった。ようやく1970年代にアメリカ合衆国が中華人民共和国との国交正常化交渉に乗りだし、1971年にニクソン訪中が実現、国連の中国代表権も台湾政府から中華人民共和国に替わったため、日本は苦しい立場に追い込まれ、ついに1972年の田中角栄首相の訪中によって日中国交正常化がなされた。日中共同声明において、日華平和条約は無効となり、今度は日本は台湾を切り捨てることとなった。 → 日中平和友好条約
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