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非同盟主義

第二次世界大戦後の冷戦の中で、いずれの陣営にも加わらない外交姿勢を取ること。インド首相ネルーが提唱し、1950年代の国際政治に大きな影響を与えた。

 非同盟(ノンアラインメント nonalignment )主義は、第二次世界大戦後の米ソ両陣営の東西冷戦に対し、そのいずれの陣営にも加わらず、積極的中立を守り、第三世界を形作って米ソに圧力をかけ、平和を実現しようという思想、またはそれにもとづく外交戦略のこと。
ネルーの提唱 インドのネルー首相が1948年に、インドは東西いずれの軍事ブロックにも加わらないという非同盟政策をはじめて演説した。ネルーは54年に南アジア諸国に呼びかけてコロンボ会議を開催、アメリカ主導によるSEATOの結成の動きに反対し、さらに55年のアジア=アフリカ会議(バンドン会議)を成功させた。
 非同盟主義はさらにユーゴスラヴィアのティトー大統領、エジプトのナセル大統領などによって推進され、1961年9月には第1回非同盟諸国首脳会議(ベオグラード)を開催した。
非同盟政策の破綻 非同盟主義に基づく外交政策は、米ソ二大国の覇権争いを牽制する上で、強いインパクトとなった。しかし、現実の国際政治の中で、この理念を維持することには困難が伴い、1960年代に入ると提唱者であったネルー自身が、非同盟政策を破棄することになる。それは、1959年のチベット問題に端を発し、インドと中国の関係が悪化、ついに1962年に中印国境紛争が起こったためである。その戦争で一方的な敗北を蒙ったインドのネルー政権は、アメリカ、さらにすでに中国との関係を悪化させていたソ連への支援要請に踏み切ったのだった。自ら非同盟政策を放棄したネルーは国内でも急速に求心力を失い、64年に死去する。
非同盟主義の継承 非同盟主義を主導した主な指導者が1970年代までに亡くなり、地域的紛争も多発し、非同盟主義はかつてのような国際政治における力を失っている。70年代にはキューバカストロが盛んにアフリカの独立運動を支援するなど、非同盟運動のリーダー的立場に立とうとしたが、ソ連との強い関係を持ち込んだ面もあり、運動は進まなかった。非同盟諸国首脳会議はその後も開催されているが、冷戦の終結、ソ連崩壊後の2000年代には南南問題への取り組みが課題となっている。

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