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三位一体説

アタナシウス派によって理論化された、神とイエスと聖霊の三者はそれぞれ別な位格(ペルソナ)をもつが実体としては一体である、という神学説。325年のニケーア公会議に始まる数回の公会議を通じて、キリスト教の正統教義とされた。

 キリスト教の根幹である、イエスの本性についての見解であり、「父(神)と子(イエス)と聖霊」は三つの位格をもつが本質的に一体であるという説。位格とは面(ペルソナ)としてそなわっている姿であり、実体(サブスタンシア)としては一体であるという。アタナシウスに端を発する思想で、ローマ時代の数回にわたる公会議正統(オーソドクス)として認められ、イエスの神聖を否定する傾向にあるさまざまな教説は異端として排除されていった。
 その後のローマ=カトリック教会(西方教会)、ギリシア正教(東方教会、正教会、コンスタンティノープル教会)、宗教改革後のプロテスタント諸派も三位一体説においては一致しており、キリスト教の最も重要な教義となっている。

ニケーア公会議

 325年のニケーア公会議では、アタナシウスの、子なる神としてのイエスの神性を認める説を正統とすることで落着したが、ついで聖霊をどう考えるかという新しい間題が加わった。キリストが地上を去った後、罪や死や律法から人類を救い、信者に信仰と心の平和を写えるのは、聖霊という形で信者の心に宿るキリストであると考えられた。しかし、聖霊に神性を認めれば、論埋的には多神教となってしまう。会議後もアリウス派の勢いが盛り返し、一時アタナシウスの説は逆境に経ち、対立が続いた。

コンスタンティノープル公会議

 ようやくテオドシウス帝によって381年に召集された第一コンスタンティノープル公会議で、聖霊の神性は認められ、神は父と子と聖霊なる三つの位格(ペルソナ)を持つ、すなわち、父なる神と子なるイエスと聖霊とは各々完全に神である、が、三つの神があるのではなく、存在するのは一つの実体(スブスタンティア)、一つの神である、とされた。これが三位一体説であり、教会(その後分離するローマ教会も東方教会も)の現在に至る基本的な正統の教理とされる。また、この二回の公会議で確定した教義なので、「ニケーア=コンスタンティノポリス信条」という。

ネストリウス派の否定

 ニケーア=コンスタンティノポリス信教では「父と子と聖霊」を実体においてひとつであるという三位一体説が正統とされたが、キリストの本性を人性と神性の両性を持つというこの考えについて、有力な反論が生まれた。それはネストリウスの考えで、彼は「神の母マリア」と唱えることに疑問を感じ、マリアは人の母であり、その子イエスの本質は人性であるとし、それが受肉によって神性を帯びるようになった主張した。この三位一体説の根幹であるキリストの両性説を否定するメス取りウス派との論争が行われたのが431年エフェソス公会議であったが、この場合も最終的にはネストリウス派は異端とされた。

単性説の否定

 しかしキリストの本性をどう捉えるかという論争はまだ続いた。両性説を否定することではネストリウスと同じであるが、それとは逆にキリストの本性は神性にあり、人性は外見に過ぎないという主張が現れた。一般にこの「キリストに神性だけを認める」教説を単性説という。451年にはカルケドン公会議が召集され、単性説について論争された結果、ここでも三位一体説が勝利を占めた。この時、ローマ教会の司教レオ1世の主張が強く影響した。その結果、三位一体説は正統の座を維持すると共に、ローマ教会の権威が高まり、その司教はローマ教皇と言われ、コンスタンティノープルの総主教と首位権を巡って争うこととなる。単性説は異端とされたが、この公会議で採択されたカルケドン信条を否定するコプト教会アルメニア教会などの東方教会として存続することとなる。

中世の異端

 中世においては、12世紀に南フランスに広がったカタリ派(アルビジョア派)や、リヨンに始まり北イタリアやドイツまで広がったワルド派などが、三位一体説を否定する異端が現れたが、十字軍運動を主催したローマ教皇の権威が高まると共に三位一体説は強固な宗教信条として揺るぐことはなくなり、異端に対する取り締まりは異端審問や宗教裁判によって厳しく取り締まられた。

非カルケドン派

 そのような中で三位一体説はローマ教会・ギリシア正教のいずれにおいても根本の教義として維持された。中世末期にローマ教会の体制が動揺し、16世紀に宗教改革が始まっても三位一体説の立場に立つことではカトリックもプロテスタントも同じである。現在のキリスト教の三大教団とされる、カトリック、ギリシア正教、プロテスタントはいずれも三位一体説を基本としており、それに反対しているのは広い意味で東方教会とされる単性論系のコプト教会、アルメニア教会などとわずかながら残っているネストリウス系のシリアの教会だけであり、これらは非カルケドン派と総称されることもある。

三位一体説のパラドックス

(引用)ニケーアの公会議で問題とされたのは、父なる神に対するイェスの人性、神性をめぐる議論であった。これは、子なる神としてのイェスの神性を認めることでいちおう落着したが、聖霊をどう考えるかという新しい間題が加わってまたまた困難な事態が起こってきた。神から遣わされて自らも神であるキリストが地上を去った後、罪や死や律法から人類を救い、信者に信仰と心の平和を写えるのは、聖霊という形で信者の心に宿るキリストであると考えられた。だからはじめからパウロなどは、聖霊はキリストと有機的に結ばれていると考えていたのである。それでは聖霊も神性を待つといえるのだろうか。そういえるとすれば、キリスト教は論埋的には多神教となってしまう。マケドニア学派の神学者たちが、キリストの神性は認めながら聖霊の神性を否定したのは、一神教であることを守ろうとする精一杯の論理的抵抗であったと考えることができる。この紛糾を最終的に解決したのが、テオドシウス帝(在位379~395)によって381年に召集された第一コンスタンティノープル公会議であった。この会議によって、聖霊の神性は認められ、神は自らを同時に、父と子と聖霊なる三つの位格(ペルソナ)の中に示す一つの神と宣言された。すなわち、父と子と聖霊は各々完全に神である。が、三つの神があるのではなく、存在するのは一つの実体(スブスタンティア)、一つの神であることが決定されたのである。x=3xという方程式は、x=0の場合を除き成立しない。けれども、xの性格が神秘性であり、信仰によって理解されるために、信者の心には素直に受け人れられ、豊かな恵みを約束するものとして定着したのである。これが三位一体論のパラドックスである。<半田元夫『キリスト教史Ⅰ』山川出版社 1977 p.199>

参考 アウグスティヌスの三位一体論

 ローマ帝国末期のアウグスティヌスが400年ごろ完成させた『告白』の第13巻は、キリスト教の原理としての三位一体説を次のようなたとえで説明している。
(引用)私は、人々がこの三つのもの(父と子と聖霊)を、自分自身のうちに考察してみたらどうかと思います。もちろんこの三つのものはかの三位一体とは、はるかに異なっています。それにもかかわらず私がそれについて話すのは、そこで彼らが思惟を訓練し、それが三位一体といかに異なるものかを、たしかめ、了解するためです。
 ところで私のいう三つのものとは、「存在する」「知る」「意志する」、これです。すなわち、私は存在し、知り、意志します。私は、知りかつ意志する者として存在し、自分が存在しかつ意志することを知り、また、存在し意志することを知ります。
 それゆえこの三つにおいて、生はいかに不可分離で一なる生、一なる精神、一なる存在であるか、要するに、それがいかに分かたれ得ぬ区別でありながらしかもやはり区別であるかを、見ることのできる者は見るがよい。たしかに、各自は自分自身に直面しています。各自、自分を注視し、よく見て、その見たところを私に答えるがよい。<アウグスティヌス/山田晶訳『告白Ⅲ』中公文庫 p.198>
 しかしこの説明は、よく読めばわかるように、神が三位一体であることを論証しようとしたものではない。「むしろ逆です。神が三位一体であるという信仰が先に在り、その信仰にもとづいて、神の三位一体とのアナロギィによって、精神の三一的構造を探求」している。それがアウグスティヌスの三位一体論である。<山田晶『アウグスティヌス講和』1986 新地書館 p.198 講談社学術文庫で再刊>

参考 三位一体論の東西教会での違い

(引用)神は唯一の「実体」であるが、そこには父と子と聖霊の三つの「位格」(自立存在・自存者)がるとする三位一体説は、東方正教会、東方諸教会および全西方教会の共通財産である。だが、東方と西方では、「三位」と「一体」のバランスが微妙に違う。西方は三位一体を考えるとき、「一体」から出発する。つまり、神の「本質」の統一性から「三位」へ向かう。三つの位格はそれぞれ独立してはいるものの、それらは一体として働き、本質において同一である、という発想をする。三者の独自性よりは、その一体性を強調するのが西方的三位一体論である。だが、正教神学は神の「本質」からは出発しない。そうではなく、その本質の「働き」を通して経験可能となる三つの自存者(ピュポスタシス)、三つの位格から考察する。神における三つの自存者を驚倒するため、日本の正教会用語では「至聖三者」という。「一」という語がなく、「三者」に力点を置いているところに注意されたい。<久松英二『ギリシア正教 東方の知』2012 講談社選書メチエ p.99-100>
※この微妙な違いは、9世紀以降、西方教会でニケーア=コンスタンティノープル信条に「フィリオクエ」という句(聖霊は子からも発する意味)を書き加えたことから明確となり、現在も歩み寄りがなされていない。 → キリスト教会の東西分裂の項を参照

参考 ロヨラの三位一体論

 西方教会での三位一体説は、ルターやカルヴァンらの宗教改革でも揺らぐことはなく、カトリックとプロテスタント双方にとっても信仰の柱となっている。宗教改革の時代、カトリック復興の先兵となったイエズス会を組織し、対抗宗教改革を進めたイグナティウス=ロヨラは、三位一体を鍵盤楽器の和音に喩えている。
(引用)かれ(ロヨラ)は、至聖なる三位一体に対して深い信心を持っていた。それで毎日三位一体のそれぞれのペルソナに祈っていた。至聖なる三位一体にも同じように祈っていたのだが、あるとき、三位一体に対してどうして四つの祈りを捧げているのか、という考えが浮かんだ。しかし、この考えは、あまり重要でない事柄として、それほど、あるいはちっとも悩みの種とはならなかった。ある日上述の修道院の階段で聖母の聖務日祷を唱えていたとき、知性が高められ始め、あたかも楽器の三つの鍵盤の形で至聖なる三位一体を観たのである。それを観ている間、抑えることのできないほど、涙と嗚咽が溢れ出てきた。その朝修道院から出発した行列に加わっていたが、食事まで涙を抑えることができず、食事後も至聖なる三位一体について以外、語ることを止めることができなかった。それを語るために、種々さまざまな比喩を用いたが、大きな歓喜と慰めを味わった。かれは至聖なる三位一体に祈るとき、その時体験した深い信心の印象がその後一生涯にわたって残った。<ロヨラ自伝『ある巡礼者の物語』岩波文庫 p.68>
 三位一体を鍵盤楽器の三和音の比喩で説明したことにロヨラ自身が感激している。ヨーロッパの音楽が、教会音楽として発達した理由もそこにあるのだろうか。また教会にオルガンがおかれていることも分かる気がする。
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書籍案内

半田元夫/今野国雄
『キリスト教史Ⅰ 宗教改革以前』
世界宗教史叢書1
1977 山川出版社

アウグスティヌス/山田晶
『告白』Ⅲ
2014 中公文庫


久松英二
『ギリシア正教 東方の知』
2012 講談社選書メチエ

ロヨラ/門脇佳吉訳
『ある巡礼者の物語』
2000 岩波文庫