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アイルランド自治法案

19世紀のイギリス議会で何度か審議され、上院の反対で否決された。1914年に成立したが第一次世界大戦のため実施が戦後に延期された。

 アイルランドは、ブリテン島のイギリス(イングランド)とは異なる歴史と文化を有する地域であったが、17世紀のクロムウェルによる征服以来、実質的にイギリスの植民地として続いていた。19世紀になると民族主義の台頭というヨーロッパの傾向の中でアイルランドの独立運動が起こってきた。それはアイルランド問題として深刻化していったが、ようやく、「自治の付与」といことで解決を図る動きが出てきた。特に1870年代から20世紀初頭にかけて、グラッドストン自由党内閣のもとでアイルランドに自治を付与する法案が作成され、議会に提案されたが、議会(特に保守的な上院)の反対に遭い、何度かの修正案の提出をかさね、ようやく1914年に成立した。

アイルランド自治法案の修正過程

 1848年の青年アイルランド党や、1867年のフィニアン運動が挫折した後、議会の中でアイルランドの自治権を要求するアイルランド国民党が運動の中心となった。グラッドストン自由党内閣は、国民党が自由党と保守党に続く第三の勢力を持つようになると、議会運営上も国民党の協力が必要であるとして自治を認める法案を作成した。
  • 第1回自治法案(1886年)はアイルランドのダブリンに議会を作ることを認める法案であったが、アイルランド内の産業資本家や自由党内のジョゼフ=チェンバレンなどイギリスとアイルランドの合同(ユニオン)の維持を主張するグループが自由統一党(統一主義=ユニオニスト)を結成して反対したため成立しなかった。
  • 第2回自治法案(1893年)は第4次グラッドストン内閣で、アイルランドに議会を設けるほか、イギリス議会にも議員を送るという妥協的な内容で下院では可決されたが、上院の否決で成立しなかったため、グラッドストンは辞任した。
  • 第3回の自治法案(1912年) グラッドストンの死(1898年)後にアスキス自由党内閣がを提案、内容はほぼ前回と同じで、再び上院の反対で否決された。しかし、議会法の規定で3会期連続で上院で否決されたら下院の通過のみで成立するという条項により、アイルランド自治法は1914年に成立する見通しとなった。
  • 実施の延期(1914年) しかし、1914年、第一次世界大戦が勃発したため、その実施は延期されることとなった。

自治か独立か

 この大戦中の実施延期に対し、即時実施を求める急進派は1916年にイースター蜂起に立ち上がったがイギリスの派遣した軍隊によって鎮圧された。しかし、大戦後に実施された総選挙ではそれまでの穏健な自治獲得運動を主導したアイルランド国民党は大きく後退し、より強硬に独立を目指すシン=フェイン党が躍進、その指導のもとで、1919~21年のアイルランド独立戦争(英アイ戦争)となる。
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