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租借

ある国が外国との取り決めにより、国土の一部をその国に貸し与えること。その土地を租借地、あるいは租界という。帝国主義の世界支配の一例として多発したが、1997年の香港返還などで租借地は消滅した。

 租借(そしゃく)は近代国家間の関係で用いられる、国家間の土地の貸し借りのことであるが、一般的に欧米列強がアジア、特に中国に対して武力的な威圧を背景に強制した場合をさすことが多い。また租借にはその土地の使用権、利用権だけに限定される場合もあるが、問題となるのは租借した国がその地の行政や警察、裁判などの統治権を認められ中国の法律の及ばない治外法権の地となった場合である。そのような租借地を特に租界ということが多い。
 租借は二国間の取り決めによって成立するので、通常はその期間を定めている。期限には25年などの短い場合から、99年という長期にわたる場合もあった。上海の租界のように、太平天国の混乱期にイギリスが居留民を守ることを口実に軍隊を駐屯させ、事実上の租借地にしてしまったケースもある。

中国分割

 特に中国に対して列強が租借地を獲得したのが、日清戦争で清の弱体化が公然となった、1898~99年のイギリス、フランス、ドイツ、ロシアによる中国分割の時であった。このとき、イギリスは威海衛九竜半島北部地域、フランスは広州湾、ドイツは膠州湾、ロシアは旅順・大連をそれぞれ租借地として獲得した。日本は日清戦争で領有していた台湾の対岸の福建省を外国に割譲しないことを約束させ、その勢力圏とした(福建省不割譲条約)。中国進出が遅れることとなったアメリカ合衆国は、国務長官ジョン=ヘイの名で、門戸開放宣言を発表し、中国での門戸開放・機会均等、さらに中国の領土保全を原則としていく。

租借地の消滅

 これらの租借地は第一次世界大戦後の中国のナショナリズムの高揚によって、期限を待たずに返還されたり、租借国が変化したりし、第二次世界大戦でほぼ消滅した。その中でなおも租借として残っていたのが、イギリス領香港に隣接した九竜半島地区と、ポルトガルのマカオであったが、九竜半島の租借期限が切れた1997年に香港返還、1999年にはマカオ返還が相次いで実現し、帝国主義時代の遺物である租借地は消滅した。
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