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ワシントン体制

ヴェルサイユ体制を補完するワシントン会議で成立したアジア・太平洋地域の枠組み。1931年、日本の満州事変で崩壊した。

 ワシントン会議によってつくられた、中国に関する九カ国条約と太平洋地域に関する四カ国条約の二つの条約によって形成された、第一次世界大戦後1921~1930年代初頭までの東アジア・太平洋地域の国際秩序。ドイツ脱落後、日本の進出をアメリカ・イギリスが抑える構図となっている。ヨーロッパの「ロカルノ体制」と並んで、ヴェルサイユ体制を支えるものであったといえる。
 日本は1920年代は世界的な国際協調に歩調を合わせていたが、1929年の世界恐慌が波及して、1930年には昭和恐慌に見舞われ、その頃からの軍部・右翼の台頭によって、次第にワシントン体制打破を国家方針とするようになる。1931年に満州事変を起こし、満州国を樹立したことは、ワシントン体制の東アジア国際秩序を真っ向から否定する意味をもっていた。
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