印刷 | 通常画面に戻る |

独立国家共同体/CIS

1991年、ソ連邦崩壊後にロシアなど旧ソ連加盟国で結成した国家の連合体。スラヴ系3国と中央アジア5カ国、カフカスの3国の11カ国で発足。しかし、2014年はウクライナが脱退、内部にも民族対立を抱え結束は十分ではない。

 独立国家共同体 CISは Commonwealth of Independent States の略。1991年8月のソ連共産党保守派クーデターが失敗した後、1991年12月8日、ベラルーシのミンスク郊外のベロベージの森でロシアのエリツィン大統領が中心になってロシア、ウクライナ、ベラルーシのスラヴ系の三共和国首脳が会談し、ソ連の解体と、独立国家共同体の結成を宣言した。
 さらに12月21日、アルマ=アタ宣言に署名して、ロシア連邦ウクライナベラルーシ中央アジア5ヵ国アルメニアアゼルバイジャンモルドバの11ヶ国が参加して正式の発足した。
 中央アジアではウズベキスタンカザフスタンキルギスタジキスタントルクメニスタンの5共和国が分離し、それぞれ主権国家としてCISに加盟した。

ソ連解体後の核の問題

 ソ連邦解体に際し、もっとも懸念されたのが国境問題と核問題であった。ベロベージ会議はちょうどクロアティア独立を巡ってユーゴ内戦が激化しており、旧ソ連も同様な内戦に陥る危険もあった。特にロシアに次ぐ大国であるウクライナは完全独立と国境変更に反対(クリミア半島はフルシチョフ時代にウクライナ共和国に編入されていたのでそれに固執した)、また核兵器にも保有権を主張した。ベロベージ会議ではそれらの点は決着がつかず棚上げされ、ソ連解体と独立国家共同体設置の合意にとどまった。核の分散を警戒したアメリカが各国に積極的に働きかけ、12月のアルマ=アタ宣言では旧ソ連の核兵器はすべてロシアが継承することで合意した。替わりにロシアは領土問題で譲歩し、ウクライナのクリミア半島領有を認めた。(その後のウクライナ紛争とロシアのクリミア半島占領については後述)

その後の独立国家共同体

 バルト三国を除く旧ソ連邦構成国がすべて加盟する新たな国家連合体となった。ソヴィエト連邦とは異なり、各国の独自性の強い、ゆるやかな連合体として作られ、当初は共同の軍事力を持つ構想もあったが、それは立ち消えとなり、主として経済分野での協力が主な働きとなった。
 CIS各国はモルドヴァ(現モルドバ)、ジョージア、アゼルバイジャン、タジキスタンなどで民族紛争を抱えており、ロシア連邦でもチェチェン紛争が深刻化しており、これらの問題では共同歩調を取ることが出来ないでいる。
ウクライナの脱退 ウクライナでは親ロシア的、強権的な大統領に対し、2005年に大統領選挙の不正が明るみに出て民主化が進められて、オレンジ革命となった。その結果、ロシアの影響力が弱まり、NATO加盟の動きが出た。ロシアはそれに反発、2014年に強引にウクライナ領のクリミア半島を併合、両者の関係は悪化し、このクリミア危機からさらにウクライナ東部のロシア系住民の分離運動を支援してウクライナ東部紛争が勃発、両国関係は極度に悪化した。そのため、創設時の加盟国であるウクライナは同年、CISを脱退した。
 また、グルジア(ジョージア)は1993年に加盟したが、2008年には脱退、旧ソ連圏の連帯は完全に失われた。このようにCISは参加国の結束は弱く、現状ではあまり機能していない印象があったが、2010年代にウクライナにNATO加盟の動きが出ると、危機感を持ったロシアによるクリミア半島併合などが行われ、にわかに緊張感が増し、ロシアはCIS諸国との結束を強めようとしたため、その存在が改めて注目されるようになった。

集団安全保障条約機構(CSTO)

 ソヴィエト連邦が1991年に崩壊、同年に独立国家共同体(CIS)が結成され、翌1992年5月に旧ソ連を構成していたロシア連邦アルメニアカザフスタンキルギスタジキスタンウズベキスタンの6カ国が加わり、集団安全保障条約を締結した。条約には翌年、アゼルバイジャンジョージア(当時はグルジアといった)、ベラルーシが加盟したが、1999年の期限延長の際に、アゼルバイジャン、ジョージア、ウズベキスタン(2006年再加入、2012年に再離脱)が離脱したので、現在ではロシア、アルメニア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ベラルーシの6カ国である(2022年1月)。
 この集団安全保障条約締結国(6カ国)が2002年5月14日に結成したのが集団安全保障条約機構(Collective Security Treaty Organisation 略称CSTO )。加盟国の安全保障、領土保全などで集団的軍事行動を行うことのできる。加盟国外からの侵攻以外にも、テロや犯罪、麻薬対策も任務とすると規定され、協同でテロ対策の訓練などを行っている。<以上、主として Wikkipedia の記事により構成>

NewS カザフスタン騒乱でCSTOが軍事行動

 2022年1月7日、中央アジアのカザフスタン共和国で燃料値上げへの抗議から騒乱が起こり、全国に拡大した。カザフスタンのトカエフ大統領は騒乱は外国で訓練された武装勢力によって起こされたと非難、集団安全保障条約機構(CSTO)に軍事支援を要請、それによってロシアの空挺部隊が先遣部隊として派遣された。CSTO部隊は2~3千で、アルメニア、タジキスタン、ベラルーシ、キルギスの四か国軍も加わるが大半はロシア軍部隊が占めている。1992年に締結された集団安全保障条約で「加盟国が攻撃を受けた場合、軍事支援が検討される」とあることを根拠としているが、この規定に基づいて実際に部隊が派遣されたのは初めてのことである。
 2021年、加盟国アルメニアが、隣国アゼルバイジャンと衝突した際には派遣は見送られており、今回は国内紛争の初期の段階で、しかも外国軍の侵攻という根拠が示されないままの派遣に国際的にはいぶかる声がある。カザフスタンはナザルバエフ前大統領時代から権威主義的な体制をとっており、現在のトカエフ政権はロシアと中国双方とバランス外交を続けている。ロシアのプーチン大統領はウクライナ東部紛争で米欧とにらみ合い、さらにベラルーシの政情不安に対する米欧の干渉に神経を尖らしており、今回のカザフスタンへの迅速な介入はプーチン政権の強い意向が働いているとみられている。<朝日新聞 2022/1/8 記事>

参考 CSTOははたして“集団安全保障”か

 集団安全保障条約機構は独立国家共同体(CIS)加盟国の軍事面での協力をとりきめたものであり、ソ連を中心とする東欧諸国が北大西洋条約機構(NATO)に対抗して1955年に結成した軍事協力機構であるワルシャワ条約機構と同質の集団的自衛権に基づく軍事同盟である。東西冷戦の解消によって、1991年にはワルシャワ条約機構は解散している。
 つまりこの集団安全保障条約機構は、集団安全保障とは名乗っているが、その理念である加盟国の軍事行動を抑制するしくみとはまったく異質であり、集団的自衛権の主張する敵対国の攻撃から集団で防衛するための軍事同盟が本質である。言葉が似ているので紛らわしいが、明らかに集団安全保障をめざす機構ではないので、その条約名には問題がある。
 国際連合は集団安全保障の理念の下に作られている。 国際連合憲章では個別的自衛権とともに集団的自衛権を保障しているが、それは限定的である。集団安全保障条約機構も国連に届け出てオブザーバーの資格を得ているが、NATOに対抗する軍事同盟という本質が前面に出てくるのは好ましくない。かつてのワルシャワ条約機構と同等の力は無いとしても、プーチンのロシアがNATOに対抗して集団的自衛権を行使する根拠となる恐れは充分ある。今までその存在が国際社会でほとんど意識されていなかったCSTOが、カザフスタン動乱でにわかに浮上して来たという感があり要注意だ。

NewS プーチン、CSTOを召集、NATOを牽制

 2022年2月24日プーチンはロシア軍に対しウクライナへの軍事侵攻を命じ、ウクライナ戦争が勃発した。当初は短期間にキエフ(現地ではキーウ)などの主要都市を押さえゼレンスキー政権を倒して親ロシア政権を樹立し、クリミア併合とドンバス分離を承認させようと目論んだようであったが、アメリカなどNATO諸国のウクライナへの軍事支援をうけたウクライナの想定外の抵抗、欧米中心の経済封鎖、そして国際世論のロシア非難のたかまりによって、侵攻は停滞した。また5月15,16日にはフィンランドスウェーデンがともにNATO加盟申請を決めるなど、ロシアにとって裏目に出る極めて厳しい情勢となった。
 そのような中、プーチンは5月16日、モスクワに集団安全保障条約機構(CSTO)首脳を召集、フィンランド・スウェーデン両国のNATO加盟は脅威ではないが、両国に軍事インフラが配備されれば、何らかの対応を講じる可能性があると表明した。参加した首脳は、プーチンのほかにアルメニアのパシニャン首相、カザフスタンのトカエフ大統領、キルギスのジャパロフ大統領、ベラルーシのルカシェンコ大統領、タジキスタンのラフモン大統領の6カ国、6代表。16日に終了したが、共同声明ではロシアのウクライナ侵攻を支持する文言はなく、各首脳もルカシェンコを除いてロシアに同調する発言は無かったという。プーチンが狙った反NATOでの結束強化とはならなかった。産経新聞 インターネット版 2022/5/17
印 刷
印刷画面へ