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高度経済成長

1960年代に日本経済が輸出増大に支えられて、急速な成長をとげた。1963~64年には貿易・為替などの自由化に踏みきり、70年代にはアメリカ、ヨーロッパとならぶ世界経済の三極構造の一角を担った。

 日本の経済は戦争による労働力・生産力に対する大打撃と、激しいインフレによって大きく落ち込んだが、1945年~50年の経済の民主化と産業復興政策、GHQによる資金援助、固定為替制度による貿易の復興などで基盤を整え、1950年の朝鮮戦争による朝鮮特需で完全復興の端緒をつかんだ。その後、50年代の国民の努力によって、また外国と比べて安価であった労働力に支えられ、日本の経済成長は急速な成長を遂げた。ついで1960年代からいわゆる高度経済成長期には入ることとなる。

日本経済の急成長

 1960年、安保闘争で岸内閣が倒れた後に登場した池田勇人内閣は、「所得倍増」をスローガンに高度経済成長政策を提唱した。その後、1960年代は年率約10%の成長が続き、日本は屈指の経済大国となった。その象徴として64年には東京オリンピックが開催された。この成長は64年開業の東海道新幹線に代表される技術革新に支えられていたが、アメリカがベトナム戦争期にあたり、日本の輸出が増大したことが大きな要因であった。

日本経済の開放

 復興した日本経済によって輸出が伸び、対米貿易収支が黒字に転換すると、アメリカはドル防衛のために日本に対する貿易・為替の自由化を要請するようになり、西欧諸国も日本に対する貿易自由化を強くし、日本に対する経済開放要求が国際的に高まってきた。それに対して日本政府は、まず1963年にはGATT11条国に移行(国際収支を理由に輸入制限できない国となること。GATTは95年に世界貿易機構=WTOとなる)して貿易を自由化,翌1964年にIMF8条国に移行(同じく国際収支を理由に為替制限を出来ない国となること)して為替を自由化,さらに同年、「先進国クラブ」といわれる経済協力開発機構(OECD)に加盟して資本の自由化に踏み切った。この貿易・為替・資本の三本セットによって日本は国際経済にたいして日本経済を開放、世界経済(国際資本主義)に加わることとなった。

経済成長の光と影

 しかし、その反面、60年代の日本の経済繁栄とベトナム戦争の泥沼化という相反する現実に、若者のいらだちは強まっていった。1968年にはフランスの五月危機(五月革命)やアメリカのベトナム反戦運動の盛り上がりの刺激もあり、日本でも各地の大学で学生運動が盛り上がり、その高揚は70年代まで続いた。
 日本の経済成長がアメリカ合衆国経済の相対的低下をもたらし、1971年のドル=ショックの一つの要因となった。代わってヨーロッパの統合が進み、日本が高度成長を遂げた結果、1970年代には世界経済は三極構造といわれるようになった。
 一方、高度経済成長のもとでの急激な工業化、エネルギーの転換(石炭から原油へ)が進み、それによって農業人口の低下と食糧問題、過疎の問題、そして公害問題は深刻になってゆき、戦後日本社会を大きく変貌させることとなった。
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