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第13章 アジア諸地域の動揺

2 南アジア・東南アジアの植民地化

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ア.西欧勢力の進出とインドの植民地化 用語リストへ
A.西欧勢力進出以前のインド洋世界(第5章2節、第7章参照)
・港市を結ぶネットワークの形成 →a ムスリム商人 やb インド商人 の活動
・15世紀末 大航海時代(9章1節参照)
 バスコ=ダ=ガマのインド航路発見 →c ヨーロッパ商業勢力 、インド洋世界に登場
B インド経済の変化 17世紀後半~18世紀  a ムガル帝国 の時代
・商品経済の発展を背景に、各地の政治経済活動が活発化。 → 地方勢力が力を付ける。
・オランダ、イギリス、フランスがそれぞれb 東インド会社 を設立。
 → インド各地に商館を設置、インド産c 綿布 の獲得を目指す。
  → 対価としてインドに金やd 銀 が大量に流入。
  → 農業生産物の現物経済によって成り立っていた農村の経済構造をくずす。
 ムガル帝国 の衰退
・a アウラングゼーブ帝 の死(1707年)後、イスラーム教とヒンドゥー教の対立が激化。
 → デカン高原のマラーター諸侯、ベンガル地方、ガンジス中流域などに地方諸勢力が自立。
・▲1739年 イランの アフシャール朝 (トルコ系)、 ナーディル=シャー がデリーを略奪。
 → ムガル帝国はデリー周辺だけを支配する弱小国となる。

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 英仏の植民地抗争  18世紀 ヨーロッパでの戦争と連動
・1744~61年 a カーナティック戦争 :インドの政治勢力の対立に、英仏がかかわり抗争。
 → ヨーロッパではb オーストリア継承戦争 が起こる。
・1757年 c プラッシーの戦い :ヨーロッパ本土ではd 七年戦争  が起こる。
 = イギリスのe クライヴ 指揮の東インド会社軍がフランスとf ベンガル太守 の連合軍を破る。
 → 北米では英仏のg フレンチ=インディアン戦争 が起きる。
 → イギリス、ベンガル地方の掌握のため、ベンガル知事を置く。
 1763年 最終的にイギリスが勝利し、i パリ条約 を締結し、イギリス優位で決着。
 = イギリス第一帝国の成立。
 イギリス東インド会社 のインド支配の確立。18世紀後半~19世紀前半
・1765年 東インド会社、ベンガル・ビハール両地域のa 徴税権(ディーワーニー) 認められる。
 (▲前年にイギリスはブクサールの戦いでベンガル太守の軍を破った)
 意義 b 東インド会社が商業活動と共に徴税・行政権も持つ植民地支配機関となった。 
・1773年 ベンガル知事に代わって▲c ベンガル総督 を設置。初代総督ヘースティングス。
・イギリスのインド植民地領域の拡大
 1767~99年 d マイソール戦争  南インドのマイソール王国を滅ぼす。南インド制圧。
 1775~1818年 e マラーター戦争  インド中部のマラータ同盟を滅ぼす。
 1845~49年 f シク戦争  インド西北部のg シク教徒 を制圧。
 → イギリスのインド植民地支配の完成。
・一部をh 藩王国 として間接統治とし、他は直接統治を行う。
・周辺への支配拡大
 1814~16年 ▲i ネパール を保護国化( グルカ戦争 )。
 1815年 ウイーン議定書でj スリランカ(セイロン島) をオランダから獲得。

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イ.植民地統治下のインド社会と大反乱 用語リストへ
 東インド会社 の変質
・18世紀 イギリスの産業革命の進行 → 産業資本家のa 自由貿易 の要求強まる。
 → 東インド会社の貿易独占に反発するようになる。
 1813年 インドとのb 貿易独占権廃止 。茶を除いて独占廃止。
 1833年 c 商業活動を全面的に禁止 。 → 同時に、インド総督(副王)が置かれる。
・意義 d 東インド会社は商業活動を終えインド統治機関(植民地政府)の役割のみとなった。 
 東インド会社のインド統治 
・植民地政府の目的:税の徴収を確実にし、インドに流入した銀の本国への環流をめざした。
・a ザミンダーリー制 :1793年のベンガル・ビハールに始まり主に北インドで実施される。
  =b 地税の徴収を、政府と農民の仲介者に任せ、その土地所有権を認める。 
    仲介者(ザミンダール)には従来の領主や地主などの有力者が指名された。
・c ライヤットワーリー制 :主として南インド、シンド地方で実施された。
  =d 仲介者を排除し農民(ライヤット)に土地保有権を与え直接徴税する。 
・イギリスの土地制度導入の影響
  =e 従来の土地共有制に基づく村落共同体が崩れ、重税による生活苦から農民が没落した。 

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 産業革命の影響 
イギリスとインドの貿易

インド貿易でのインド産綿布と
ランカシャー産綿布の比較

・18世紀後半 イギリスa 綿工業 の勃興
 → イギリスの機械製綿布がインドに大量に流入。
 → b インド産綿布 の家内工業を直撃する。(第11章1節参照)
・1810年代末、c インドは綿布の輸出国から輸入国になる。 
 右図 インド貿易でのインド産綿布とランカシャー産綿布の比較
  A インドよりヨーロッパに輸出された綿布 
  B イギリスより東洋へ輸出された綿布 
 影響:インド農村ではd 綿花 ・e アヘン ・f 茶 
    藍・ジュート麻などの商品作物のモノカルチャーに転換する。
 → g 商品経済の浸透により自給自足的な村落社会が崩壊。 
 → 20世紀前半までのインド社会の停滞の要因となる。
・イギリスの植民地政策の進行。英語教育・司法制度の導入など進める。
・インド産e アヘン の中国(清朝)への密輸出が急増。
 → 1840年 アヘン戦争。(後出)
 インド大反乱 
インド大反乱

D インド大反乱  

・a 1857 年に勃発:b シパーヒー(セポイ)の乱 ともいう。
  c シパーヒー (d セポイ ):
   =イギリス東インド会社のインド人傭兵。上層カーストの
    ヒンドゥー教徒や上層イスラム教徒の子弟が多かった。
・新式銃の弾薬包に牛の脂と豚の油が塗られていたことに対して反発した。
・背景 インド農村の困窮・イギリスの近代化の押しつけに対する反発。
    イギリスのe 藩王国 とりつぶし政策に対する旧支配層の不満。
   =藩王の養子を認めず継承者がなければ東インド会社が併合する。
    東インド会社がc シパーヒー を解雇し始めた。
・反乱の拡大 ▲北インドでは小国の王妃ラクシュミー=バーイーが活躍。
  → 差別廃止と待遇改善を要求、各地の都市住民・農民が参加し、大反乱となる。
  → f デリー を占領し、ムガル皇帝を擁立。
・イギリス東インド会社はアフガン人やグルカ兵を動員して鎮圧に当たる。
 1858年 反乱側に指揮系統混乱、ムガル皇帝バハードゥール=シャー2世も捕らえられ流刑となる。
  → g ムガル帝国滅亡 
ディズレリとヴィクトリア女王

 ヴィクトリア女王 にインド皇帝の
冠を手渡すディズレーリ首相

・ 同  年 イギリスh 東インド会社を解散 
  → インドは本国政府の直接支配下に置かれる。
 1859年 最終的に反乱鎮圧される。
・意義:i ムガル帝国は滅亡したがインドの民族独立運動の原点となった。 
  = j (第1次)インド独立戦争 とも言われる。

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 インド帝国 の成立
・1877年 a ヴィクトリア女王 がb インド皇帝 として即位。
     = E インド帝国 の成立。司法・行政に渡る統治体制が整備される。
・イギリスのインド支配の実態
 550をこえる封建的なc 藩王国 を保護し、間接的統治を併用する。
 強圧的統治を改め「d 分割統治 」によって宗教対立を統治に利用した。
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ウ.東南アジアの植民地化 用語リストへ
・西欧諸国の東南アジア進出の変質
 16世紀 香辛料貿易などの商業権益の獲得から始まり、次第に領土の獲得に向かった。
 19世紀 植民地化を達成。輸出用一次産品の生産に集中し、世界経済に組み込まれていく。
1.オランダによる東南アジア島嶼部の植民地化
・16世紀末a オランダ 、ジャワ島に到達。東インド会社による香辛料貿易始まる。
  バタヴィアを建設。1623年 b アンボイナ事件 でイギリスを排除。(第10章2節参照)
・c オランダ領東インド の支配
 1755年 ジャワ島のd マタラム王国 、オランダに支配権を譲渡し消滅。
・直轄支配への転換 本国が一時ナポレオンに征服され、1815年にオランダ立憲王国として再建される。
 1799年 東インド会社解散。→19世紀、オランダ政庁による植民地直轄支配に転換。
  →  コーヒー サトウキビ 、藍などの商品作物を導入、買い上げ価格を一定に定める。
・1824年 f イギリス=オランダ協定 :イギリスとの東南アジア勢力圏分割協定。
  → マレー半島、シンガポールのイギリス支配を認め、スマトラ島、ジャワ島などを確保。

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・g 強制栽培制度 を導入
 1825~30年 h ジャワ戦争  オランダ植民地支配に対するイスラム土侯の反乱を鎮圧。
 1830年からg 強制栽培制度 ※を導入:本国の財政悪化の立て直しのため。
  内容:i 植民地に対し作物を指定し強制的に栽培させ、安価に買い取り本国の利益を増やす方式。 
   → 強制栽培で生産された作物は、砂糖きび・コーヒー・藍などの商品作物。 
  結果:j 植民地の農民の自給自足が崩れ、飢饉が頻発するなど貧困化が進んだ。 
補足:
・1904年 スマトラ島北端のイスラーム国家▲k アチェ王国 を滅ぼす( アチェ戦争 )。
→ オランダ植民地地域が、第2次世界大戦後に1948年にl インドネシア として独立する。
2.イギリスのマレー半島植民地化
・a イギリス 、インドから中国への進出を目ざし、東南アジアでの拠点獲得に乗り出す。
・18世紀末~19世紀、b マレー半島 進出。
 1786年 マラッカ海峡北端のc ペナン を領有。→ 中継港建設。
 1819年 d シンガポール 獲得。植民地行政官 ラッフルズ ジョホール王国 から買収。
  → 一時ジャワ島を占領。
 1824年 e イギリス=オランダ協定 によりf マラッカ などをオランダから獲得、
  → スマトラ・ジャワ島など諸島部はオランダに譲る。
 1826年 d シンガポール 、c ペナン 、f マラッカ をg 海峡植民地 とする。
・1870年代から、港市だけの支配から領域支配に乗り出す。
  → h スズ の採鉱権をめぐる中国人とマレー人スルタンの争いに介入。
 1895年 i マレー連合州  結成。マレー半島の植民地支配を確立させる。
・20世紀 j ゴム のプランテーション経営を拡大。大量のk インド人移民 (印僑)を導入する。
3.イギリスのビルマ植民地化
・a ビルマ (現ミャンマー)のb コンバウン朝  、インドのアッサム地方に進出。
  → イギリスがビルマへの反撃を口実に侵攻開始。
・1824年 c イギリス=ビルマ戦争  ~26年が第一次。以後、三度にわたり侵攻。
  → 第2次 1852~53年、第三次 1885~86年
 1886年 b コンバウン朝 滅亡し、ビルマは全土がインド帝国の州とされる。
  → 南部のイラワディ川デルタ地帯の水田開発を進め、世界市場に組み込む。

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4.スペインのフィリピン支配
・a フィリピン は、16世紀以来b スペイン の支配続く。
・b スペイン の太平洋ルートの貿易 1670年代から始まる。
  = c マニラ とメキシコの▲d アカプルコ を結ぶ▲e ガレオン貿易 を展開。(第10章2節)

 ┌────┐  f メキシコ銀   ┌───────┐  f メキシコ銀   ┌───────┐
 │ 中国 │←───────────│ フィリピン │←───────────│ メキシコ  │
 │    │            │       │            │       │
 │(清朝)│───────────→│ (マニラ) │───────────→│(アカプルコ)│
 └────┘g 絹織物  陶磁器 └───────┘g 絹織物  陶磁器 └───────┘

・スペインの支配:カトリックに強制改宗。教区司祭が行政権まで握る。
  → ▲イスラーム教徒に対する弾圧( モロ戦争
・スペインは鎖国政策をとり他の欧米諸国の参入を拒否。欧米各国の自由貿易の要求強まる。
 1834年 i マニラ開港 、自由港となり、
  → j 砂糖、マニラ麻、タバコ等の商品作物 の生産が進み、世界市場に組みこまれる。
  → 商人や高利貸しが土地を集積し、プランテーション開発がすすむ。
5.フランスのインドシナ植民地
・a ベトナム のb 阮朝 の成立(8章2節参照)
 1802年 c 阮福映 、西山朝を倒し全土を統一。
  ← フランス人宣教師d ピニョー の義勇兵とタイ軍の援助による。
 1804年 清朝よりe ベトナム(越南) 国王に封じられる。清の制度を導入する。
・f フランス のインドシナ侵攻
 1858~62年 g ナポレオン3世 、宣教師迫害を口実に出兵。
  → 1862年 h サイゴン条約 :フランスがメコン川流域(ヴェトナム南部)を奪う。
  i 劉永福 が組織したj 黒旗軍 によるゲリラ戦で北部を根拠にしてフランスに抵抗。
 1883年 フランスが北部に侵攻 → k ユエ条約 :ベトナム北部と中部の支配権を得る。
   = 実質的にl ベトナム保護国化 。 →ベトナムのm 宗主国 を主張する清朝が反発。
・1884年 n 清仏戦争 おきる。j 黒旗軍 も清朝側で戦う。 → 清朝敗れる。
 1885年 o 天津条約 :清朝がフランスのベトナム保護権を承認。
・フランス植民地支配の成立
 1863年 p カンボジア を保護国化する。 
 1887年 q フランス領インドシナ連邦 成立。ハノイに総督府を置く。
 1899年 r ラオス も編入される。
・a ベトナム ・p カンボジア ・r ラオス 、第2次大戦後までフランス植民地として継続。 
6.独立を維持したタイ
・a タイ は、b ラタナコーシン朝 のもとで鎖国的政策をとる。
  → 19世紀以降、西欧諸国の門戸開放の圧力強まる。

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・1855年 ▲c ラーマ4世  イギリスとの ボーリング条約 を締結。
   = 自由貿易の原則、低関税、領事館の設置などを定めた不平等条約。
  → 王室の貿易独占が解除され、自由貿易開始 → 米の商品化が進みデルタ地帯の開発進む。
・19世紀末 d チュラロンコーン(ラーマ5世)  イギリスとフランスの勢力均衡を巧みにはかる。
       同時に、西欧文明を積極的に導入し、近代化政策を進める。
・特徴:e 東南アジア諸地域の中で唯一、植民地化の圧力を回避。 
    ただし、周辺の領土は英領ビルマ、仏領カンボジアに奪われている。
 背景:f 英仏の緩衝地帯にあり両国が牽制したことと、近代化政策を採用したこと。 
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この節の小見出し
ア.西欧勢力の進出とインドの植民地化
イ.植民地統治下のインド社会 と大反乱
ウ.東南アジアの植民地化

目 次

序章 先史の世界

1章 オリエントと地中海世界

2章 アジア・アメリカの文明

3章 東アジア世界

4章 内陸アジア世界

5章 イスラーム世界

6章 ヨーロッパ世界の形成

7章 諸地域世界の交流

8章 アジア諸地域の繁栄

9章 近代ヨーロッパの成立

10章 ヨーロッパ主権国家体制

11章 欧米近代社会の形成

12章 欧米国民国家の形成

13章 アジア諸地域の動揺

14章 帝国主義と民族運動

15章 二つの世界大戦

16章 冷戦と第三世界の自立

17章 現代の世界