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属州/プロヴィンキア

ローマが征服活動によってイタリア半島外の地中海世界各地に獲得した領土。総督が徴税請負人を通じてきびしく搾取し、ローマの繁栄をもたらした。同時に属州の拡大はローマ共和政をささえた中下層農民を没落させ、帝政に移行させる要因となった。

 ローマ共和政の時代、第1回ポエニ戦争で獲得したシチリアが最初の属州。ついでコルシカ島サルデーニャ島を合わせて第2の属州とした。属州はプロヴィンキアという。現在の南フランスをプロヴァンスというのは、ここがかつてローマの属州だったからである。
 属州には総督(ローマ)(知事ともいう)がおかれ、元老院から有力者が任命されてその統治に当たり、「十分の一税」という租税を徴収した。その下で実際に徴税にあたった徴税請負人は総督に請け負った税額よりも多くの税を徴収し、その差額を総督が着服するという方法で私腹を肥やし、大きな富を獲得するようになり、ローマの有力者の利権の対象となっていった。
 また属州からは奴隷と大量の安価な穀物がローマ本土にもたらされた。ローマの奴隷制と共和政を支えることとなった。それだけに属州統治はローマにとって重要な課題となり、またその拡大がローマの社会と政治のあり方を大きく変えることになる。

属州の拡大

 ローマの海外領土である属州は、前3世紀の第1回ポエニ戦争の時に獲得したシチリアが最初で、その後、コルシカサルデーニャを加え、前2世紀に入りヒスパニア(スペイン)、マケドニア、アカイア(ギリシア)、アフリカ(ヌミディア=旧カルタゴ)、アシア(小アジアの西部)、ガリア、前1世紀にシリア、キリキア(小アジア南部)、イリュリクム(現在のアルバニア)、パンノニア(現在のハンガリー)、トラキア(現在のほぼブルガリア)、エジプトブリタニア(大ブリテン島)、ダキア(ルーマニア)と拡大した。

属州の拡大の影響

 拡大された属州からは、奴隷と穀物が大量にローマ国内にもたらされた。いずれも戦勝によって獲得した海外領土であり、大量の捕虜は奴隷としてローマ本国に送られ、また属州からは穀物が租税として徴収され、ローマ本国の市民の食糧とされていた。奴隷と穀物の大量流入とともに均質な市民から構成されていたローマ共和政の原則は変質し、中小農民が没落して、奴隷労働による大土地経営であるラティフンディアが広がった。富を蓄えた有力者は更に属州の徴税請負人としても力と富を蓄え、騎士(エクイテス)といわれる新たな支配層を形成していった。このような背景から、ローマは内乱の1世紀を経てローマ帝国に移行していった。
 しかし、紀元後2世紀までにはローマ帝国の地中海支配が完成してパックス=ロマーナが実現すると、属州の拡大は終わりを告げ、新たな奴隷の供給はなくなり、大土地所有制からコロナトゥスへと移行し、奴隷に依存したローマ社会も大きく変動することとなる。
 ローマ帝国の存続した間、属州は帝国を支える穀物生産地などとして維持されるとともに、ローマ文化が帝国領内全域におよぶこととなり、現在も属州であった各地にローマ時代の遺跡が遺されている。一方でキリスト教など外来の文化も属州を経てローマに浸透していった。
 4世紀末のローマ帝国の分割などから帝国の弱体化は次第に進み、北方からのゲルマン人と、東方からのイスラーム教勢力などが属州に侵入し、ローマ帝国の支配領域は縮小していくこととなる。

参考 プロヴィンキアの意味

(引用)ふつうわれわれが属州とよぶプロヴィンキア(英語のプロヴィンスのもとの言葉)とは、もともと権限とか職務範囲とかを意味する。政務官に帰属する特定の権限、およびその軍事的な最高の権限、裁判、行政の権限を意味する包括的な権限=命令権(インペリウム)を行使できる範囲なのである。したがって属州とは、属州長官イコール軍司令官がインペリウムをもって統治する占領地域と言ってもよい。そのため属州は、イタリア半島とはことなり、搾取の対象地域となった。ローマは、属州からのあがり、すなわち税で生きてゆくことになり、ついにはローマ市民は、第三次マケドニア戦争後、ある種の税をのぞき、もうまったく直接税を支払う必要がなくなる。<長谷川博隆『ギリシア・ローマの盛衰―古典古代の市民たち』1993 講談社学術文庫 p.198>

アウグストゥスの属州区分

 前27年、ローマ帝国初代皇帝となったアウグストゥスの時、アウグストゥスと元老院の間で、属州(プロヴィンキア)の全体を二分して管理する取り決めが成立した。それは属州総督のもつ命令権(プロコンスル命令権。属州軍指揮権と属州統治権)を両者で分け、それぞれが属州総督を任命することであった。これによってアウグストゥスは元老院と同等の国政上の権力を得たことになる。分け方は、統治が十分に行われている属州と、十分おこなわれていないか外敵に接している属州の二種類で、前者を元老院、後者をアウグストゥスが分担することになった。具体的にはは次のように区分された。
  1. 主な元老院管轄の属州:ナルボネンシス(南フランス)、バイティカ(イベリア半島南部)、アフリカ、キレナイカ、マケドニア、アカイア、アシアなど
  2. アウグストゥス管理の属州:ガリア(ベルギカ、ルグドゥネンシス、アクィタニア)、ヒスパニア(ルシタニア、タラコネンシス)、サルデーニャ、ダルマチア、シリア、キリキアなど
  3. 特別地域:イタリア=執政官が直接統治  エジプト=アウグストゥス個人が所有する皇帝財産
 ローマ帝国の皇帝権力が強まるに従い、両者の区別は薄くなり、属州は皇帝が管理し、総督を任命するようになっていった。
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書籍案内

村川堅太郎・長谷川博隆他
『ギリシア・ローマの盛衰』
初版1967 再刊1993
講談社学術文庫