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バルト海

バルト海地図

バルト海(現在) YahooMap をもとに作成

スカンディナビア半島とヨーロッパ大陸の間の海域で、遠隔地貿易の重要な交易圏。デンマーク、スェーデン、ロシアなどの支配が交替した。フィンランド、バルト三国はロシア・ソ連の支配から独立した。

バルト海沿岸の諸民族

 バルト海沿岸の内陸部は、寒冷で土地も肥沃ではないため農耕は困難であったので、この地を原住地としていたゲルマン人は4世紀から陸上と海上で移動を開始した。その後には、ゲルマン人の系列とは異なるスラヴ人の中のポーランド人、またその北東にはさらに別系統のリトアニア・ラトビア人(インド=ヨーロッパ語族)、エストニア人(ウラル語族)の後にバルト三国といわれる人々などが定住した。
 バルト海の北西に面したスカンジナビア半島と西を扼するユトランド半島にはフィン人(ウラル語族)とノルマン人(インド=ヨーロッパ語族)が漁業などを生業にして活動した。このうち、ノルマン人は、デンマークスウェーデン / ノルウェーの三国を形成した。 → 北欧諸国

北海・バルト海貿易

 11世紀ごろの中世後期から、ヨーロッパの遠隔地貿易の広がりの中で、地中海商業圏に次いで北海・バルト海交易が盛んになり、北ヨーロッパ商業圏の主要な舞台となった。12世紀には、ドイツ人のエルベ川以東への東方植民が盛んになるにつれて、北ドイツのリューベックなどのドイツ人の都市はハンザ同盟を結成してバルト海に進出した。彼らハンザ商人は、バルト海のニシンなどの海産物、内陸の穀物、材木や毛皮などを仕入れて、ネーデルラント、フランドル、イングランドなどにもたらし、毛織物などの製品と交易した。またバルト海沿岸の商品は内陸の交易路を通り、シャンパーニュや北イタリアにもたらされた。このようなハンザ同盟の活動と並行して、13世紀にはドイツ騎士団の東方進出が活発となり、彼らはキリスト教化を掲げて征服活動を続け、現在のポーランド北部からバルト三国にかけてのバルト海南東岸一帯を支配した。これが後のプロイセンの起源となる。

デンマークの進出

 14世紀、デンマークは北海からバルト海にかけて進出し、スウェーデン南部やバルト海中央のゴットランド、エストニアなどにも進出し、北ドイツのハンザ同盟諸都市とはげしく争った。しかし、1368年にはハンザ都市の連合海軍と戦って敗れ、バルト海でのハンザ都市の覇権が確立した。
 ハンザ都市に対抗するために、デンマーク王女マルグレーテは、ノルウェー両国王を兼ね、1397年スウェーデンを加えてカルマル同盟を結成した。その主導権はデンマークが握り実質的に支配した。

ポーランドとドイツ騎士団

 バルト海東南岸ではドイツ騎士団の進出に対抗して、1386年にリトアニアとポーランドが合同してリトアニア=ポーランド王国(ヤゲウォ朝)を結成、1410年にはヤゲウォの指揮するリトアニア=ポーランド軍はタンネンベルクの戦いで、ドイツ騎士団軍を破った。さらに1454~66年の十三年戦争でドイツ騎士団と戦ったポーランドはバルト海への出口グダニスク(ドイツ名ダンツィヒ)を回復した。

バルト帝国 スウェーデン

 1523年スウェーデンはカルマル同盟から独立してヴァーサ王朝が成立、キリスト教プロテスタント(新教)のルター派の王国として発展し、バルト海の覇権をめぐってロシア、ポーランド、デンマークと争うようになった。17世紀前半にはグスタフ=アドルフ王のもと絶対王政を作り上げ、北欧の強国に成長し、1618年三十年戦争が始まると、カトリック勢力のドイツ皇帝(ハプスブルク家神聖ローマ皇帝)とポーランドが手を結ぶことを警戒して、新教側に参戦、1630年に介入しドイツに侵攻した。グスタフ=アドルフは1632年のリュッツェンの戦いで戦死したが、スウェーデンは戦後の講和条約である1648年ウェストファリア条約で、ポンメルンなど北ドイツに領土認められた。これによってスウェーデンはバルト海を内海とする「バルト帝国」を形成した。

バルトの覇者 ロシア

 スウェーデンに代わってバルト海に進出してきたのは、内陸のモスクワを中心に勢力を拡大してきたロシアであった。バルト海への出口をもたなかったロシアは、雷帝と言われたイヴァン4世以来、バルト海進出が悲願であったが、ピョートル1世/大帝は1700~21年の北方戦争スウェーデンを破り、ニスタットの和約でバルト海沿岸の地を獲得した。その戦いの最中、バルト海に面したペテルブルクを建設、1712年に首都とし、さらにロシア最初の艦隊バルチック艦隊(バルト海艦隊)を編成した。

第一次世界大戦 バルト三国の独立

 第一次世界大戦中の1917年にロシア革命によってロシアに社会主義政権が出現すると、ロシア領だったバルト沿岸で、1918年にリトアニアとラトヴィア、20年にはエストニアとバルト三国の独立が続き、20年にはフィンランドの独立も達成された。しかし、これらのバルト海諸国はソ連とドイツという東西からの脅威を常に受けることとなり、苦難の道が続く。

現代のバルト諸国

 フィンランドは第二次世界大戦勃発後にソ連軍の侵攻を受けて、ソ連=フィンランド戦争となり、激しい抵抗の末に制圧された。独ソ戦開始に伴ってドイツ側に立ち、再びソ連と戦い、大きな犠牲を出し、領土の割譲を受け容れた。1940年にはエストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国はソ連に併合され、一時ドイツに占領された後、44年からソ連邦を構成する共和国となった。その後もソ連邦の一部として、ロシア語が強制されるなど、民族意識は押さえつけられていたが、ペレストロイカ時代になって急速に独立の気運が起こってきた。1990年3月のリトアニアの独立宣言に始まるバルト三国の独立宣言とソ連からの離脱は、翌年のソ連の解体をもたらすきっかけとなった。
 バルト海沿岸諸国10ヵ国は、1992年に環バルト海評議会(CBSS)を結成して、環境・経済・文化などでの地域協力を進め現在に至っている。

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志摩園子
『物語バルト三国の歴史』
2004 中公新書