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ロマノフ朝

ロシアで1613年に皇帝となったミハイル=ロマノフに始まる王朝。18世紀にロシア帝国として大国となる。農奴制を基礎としたツァーリズムが継続する中、近代化が遅れて社会矛盾が深刻化し、第一次世界大戦中の1917年にロシア革命が起こって倒された。

 ロシア国家であるモスクワ大公国イヴァン4世が死去、1598年にリューリク朝が断絶し、その後10数年にわたって動乱時代が続いた。この間、ポーランドなどの外国の干渉が強まり、モスクワも一時ポーランド軍に占領される状態となったため、国家を維持することで貴族が結束し、ポーランド軍をモスクワから撃退した。

ロマノフ朝の成立

 その後ロシアの貴族たちは、1613年の全国会議で16歳のミハイル=ロマノフツァーリ(皇帝)に選出した。ロマノフ家は貴族の一つであったが、ボリス=ゴドゥノフが皇帝となったとき、妖術で皇帝を殺そうとしているとの疑いをかけられ、当主のヒョードルはフィラレートと名を変えられて修道院に入れられていた。そのフィラレートの息子のミハイルがポーランドの捕虜となっていたのを担ぎ出したのである。つまり、ミハイルは自ら帝位を勝ち取ったのではなく、貴族から選出された皇帝であったが、これによってモスクワを首都とするロシア国家、ロマノフ朝が成立した。

ロマノフ朝の発展

 第2代ツァーリのアレクセイの時の1648年、現在のウクライナの草原で、リトアニア=ポーランド王国の支配を受けていた、コサックのボグダン=フメリニツキーが反乱を起こし、ロマノフ朝に支援を要請した。それ以来、ウクライナのコサックはロシアとの関係を強め、1654年にロマノフ朝のツァーリに臣従することとなった。ウクライナを巡るロシアとリトアニア=ポーランド王国の戦争は、1667年に講和となり、その結果、ロシアはウクライナ(かつてのキエフ公国)の東半分とキエフ市を奪還し、領土を西方に拡張した。
 1670年には農民反乱のステンカ=ラージンの反乱を鎮圧して、農奴制の強化に成功し、また徐々に西欧的な国家機構の整備を進め、貴族世襲制の国から官僚制・常備軍に支えられた絶対主義国家へと変貌していった。→ ロマノフ朝のロシア

ツァーリズムの完成

 その間、厳しい権力闘争が展開されたが、それに勝ったピョートル1世(在位1682~1725)は、1712年に新都ペテルブルクを建設し、スウェーデンとの北方戦争に勝利してバルト海を押さえ、バルト帝国といわれる強国をつくりあげ、強力な権力のもとで「上からの改革」を断行した。このころから「ルーシ」に代わって「ロシア」が正式な国号とされ、「ロシア帝国」としての実体を成立させた。またロシア専制君主体制を意味するツァーリズムもここに完成したと言える。
 18世紀後半にはエカチェリーナ2世(在位1762~1796)は一時はフランス啓蒙思想に共感し、西欧化を推進、一方で領土拡張に努めたが、しかしこのころ、西欧で産業革命が進展し、資本主義経済が急速に発展していた。それに対して、ロシアは上からの改革を進めたものの、農奴制に依存した社会の立ち遅れは次第に明確となっていった。

ロマノフ朝の動揺と崩壊

 19世紀のロマノフ朝にとっては専制政治(ツァーリズム)を維持しながら上からの一定の社会改革、近代化を図ることが課題となっていった。また列強に互していくためにバルカン半島、イラン方面への南下政策を積極的に展開した。しかし市民革命後の国民国家の形成と産業革命を進めた西欧諸国に対してロシアは絶対王政と封建制を維持していたため産業の近代化が遅れ、国民生活を圧迫し、矛盾が深くなっていった。その中から知識人の中に、社会主義思想や革命思想が形成されていった。帝国主義国として日本と衝突した日露戦争の際の1905年の第1次ロシア革命、第一次世界大戦中の第2次ロシア革命はいずれも民衆の暴動から始まり、その中から1917年に世界最初の社会主義政権ソヴィエト=ロシアが誕生し、最後の皇帝ニコライ2世は処刑され、ロマノフ朝は終わりを告げた。

ロマノフ朝の主要な皇帝(ツァーリ)

  • ピョートル1世(大帝、在位1682~1725) 西欧化を進めながら、スェーデンとの北方戦争を戦う。1712年、都をモスクワから、バルト海に面したペテルスブルクを新たに建設し遷都した。また東方への進出を進めた。
  • エカチェリーナ2世(女帝、在位1762~96) 啓蒙専制君主として全盛期を迎える。ポーランド分割に加わり領土を拡大。1773年に農民反乱、プガチョフの反乱が勃発したが鎮圧した。
  • アレクサンドル1世(在位1801~25) ナポレオンの侵入を撃退。ウィーン体制時代には保守勢力の中心として、ヨーロッパの民族運動、自由主義運動を弾圧、「ヨーロッパの憲兵」と呼ばれる。晩年に自由主義を掲げた青年将校のデカブリストの反乱が起きる。
  • ニコライ1世(在位1825~55) クリミア戦争で西欧諸国と戦ったが敗れる。この敗北はツァーリズムの後進性を明らかにし、政治・社会の改革の必要に迫られることとなった。
  • アレクサンドル2世 農奴解放令の発布などの改革を実施する一方、ナロードニキ運動などを弾圧して国力の回復を図り、露土戦争など南下政策を再開させた。しかしその強攻策は東方問題として列強との対立を強め、国内の矛盾も強まって革命運動も激化し、アレクサンドル2世自身がテロで倒された。
  • ニコライ2世 19世紀末から20世紀にかけて、帝国主義の抗争が激しくなると、極東への進出を強め、満州をめぐって日本と対立し、1905年日露戦争となった。その最中に第1次ロシア革命が起こった。しかし改革も不十分なまま第1次世界大戦に参戦し、その長期化とともに社会矛盾が激化して大戦中の1917年に第2次ロシア革命が起こり、ニコライ2世は家族とともに処刑されてロマノフ朝は滅亡する。
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和田春樹
『ロシア・ソ連』
地域からの世界史11
1993 朝日新聞社